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江戸の藍染めブーム

皆さま、こんにちは。段々と蒸し暑くなってきました。今月半ば、全国的に突然気温が上がって真夏日になり、体がびっくりしました。35度になった所もあったそうです。

その後も湿度が80%以上にもなる日が続き、毎日クーラーをつけています。

真夏日になった頃、5月の第三日曜は、町内の一斉清掃。溝掃除をして暑くてぐったりでした。溝清掃が終ると、動木にある農業用ため池「樫河(かしこ)池」から田んぼに水を流して、田植えが行なわれます。

我が社は6月1日が衣替えですが、近年春頃から外気温が高いこと、工場は熱溶着機があってさらに暑くなることから、4月頃から夏の作業着に衣替えしています。

江戸の衣替え

江戸時代、幕府により武士の衣替えの日程と服装が指示されたのがはじまりです。衣替えは年4回あり、それが庶民に伝わったとされています。

 武家庶民
4月1日~5月4日 袷(あわせ) 小袖(こそで)袷(あわせ)  
5月5日~8月晦日 単衣(ひとえ) 帷子(かたびら)単衣(ひとえ)  
9月朔日~9月晦日袷(あわせ) 小袖(こそで)袷 (あわせ) 
10月朔日~3月晦日綿入れ 小袖(こそで)綿入れ


単衣(ひとえ)は、裏地のない一枚の布で作られた着物。
袷(あわせ)は裏地のある着物。
帷子は(かたびら)は、袷(あわせ)の裏地を外して単衣(ひとえ)にした着物。
綿入れとは、表地と裏地の間に綿を入れて仕立てたもの。

武家と庶民で若干違いがありますが、春秋は裏地のあるもの、夏は涼しい1枚もの、秋冬は温かいもの、となっており、今と同じですね。

ファッションに制限がかけられた江戸時代

さて江戸時代、着物の生地から色柄まで制限された江戸っ子は、茶色・鼠色・藍色など地味な色のバリエーションを作り、一見無地に見える江戸小紋柄を生み出したことは、前回のブログでお伝えしました。

先日東京近郊に住む友人が、最寄り駅前で待ち合わせ中に行き交う人々を眺めていたところ、明るい色の服を着ている人がいなかったそうです。

ユニクロさんの今シーズンのTシャツのカラバリを調べたところ、明るい色がなかったです。季節柄、ワンポイントにビビッドカラーがあってもよさそうですが。

アースカラー、くすんだ色、暗い色など地味ですね。ファッションを制限された江戸時代の四十八茶百鼠(しじゅゆうはっちゃひゃくねずみ)のラインナップのようです。

最近驚いたのは軽トラ。お世話になっている電気工事屋さん愛用の軽トラはミント色、パステルグリーンです。

調べたところ、車の名前はバスケット。2009年の東京モーターショーで公開。農業用や配送用以外の一般ユーザー向けのカジュアルなスタイルの車=軽トラとして、16年前から発売されていました。

軽トラと言えばほとんど白でしたが、パステルグリーンの軽トラは、軽トラのイメージを変えますね。

 

藍染め

さて、前回のブログでは江戸時代のファッションカラー鼠色と茶色について調べてご紹介しましたが、今回は藍色・藍染めについて調べてみました。

藍染めの原料の「藍」は人類最古の青色染料と言われているそうです。奈良時代に中国から日本に伝わったとされています。

 

鎌倉時代、1番濃い藍染めを「褐色(かちいろ)=勝色」といい、武士が鎧の下に着たそうです。藍色は武士の色として定着しました。

江戸時代、綿花栽培がさかんになり、木綿が量産されるようになりました。木綿の普及には肥料の干鰯(ほしか 現在のいりこ)の存在がありました。

木綿の量産により、着物や作業着、のれん等、藍染めを使った製品が作られました。藍染めは、綿との相性がよかったそうです。

藍で染めた布は強く、防虫効果や殺菌効果があり、野良着など仕事着や下着や足袋に使われたそうです。また、燃えにくく、保温性に優れたことから、道中着や火消しの半纏にも使われました。

現代のデニムといったところでしょうか。防虫効果や殺菌効果まであるとは驚きです。

藍染めの原料

藍色の色素が含まれている植物を「藍」、その植物で色を染めることを藍染めと言われています。

藍の含まれる植物には、トウダイクサ科(ヤマ藍)・タデ科(タデ藍)・アブラナ科(ウォード)・マメ科(琉球藍)・キツネノマゴ科(インド藍)などがあるようです。

日本に古来ある藍はトウダイクサ科の山藍(ヤマアイ)。葉の「青摺り(あおずり)」が使われました。青摺りは緑色に染まるそうです。山青摺り(やまあおずり)という和の色がありました。


藍染めの原料はタデ科の「タデ藍」。タデ藍は東南アジアから中国にかけて自生するタデ科の植物で、6世紀頃に日本に伝わったとされています。

江戸時代から阿波(現在の徳島県)が藍の産地として知られています。

藍染めには「生葉染め」「乾燥葉染め」「すくも染め」があります。生葉染めは濃くそまらず、すくも染めが最も濃く染まるそうです。

春にタネをまき、夏に刈りとったものを使うのが生葉染め。
生葉を乾燥させた乾燥葉を使うのが乾燥葉染め。
生葉を乾燥させ、水を加えて発酵させた染料「すくも」を使ったのがすくも染め。

すくもを運搬しやすいように臼で突いて固めて乾燥させて扁円形の小さな固まりにしたものが「藍玉」。

染料に布や糸を浸して天日でかわかす作業を何度も繰り返すことによって、深みのある藍色ができるそうです。

藍色、紺色、浅葱色など、染める回数によって濃淡が生まれます。藍48色と言われる程のバリエーションがあるそうです。淡い色は色相が緑よりに、濃い色は紫よりになります。

藍染めとインディゴ染めの違いは?

藍染めとインディゴ染めの違いについて調べたところ、

タデ藍などの植物から生成される天然染料を使ったのが藍染め。
化学薬品を使って人工的に作られた合成染料を使ったのがインディゴ染め。

藍染めは、原料となる植物を栽培して染料を作ることからはじまり、時間と技術が必要でコストもかかりますが、色落ちや色移りが少なく、深い色合いがあります。

インディゴ染めは安定して染められ、安価に大量生産できるようになり、ジーンズが普及しました。色落ちしますが、それも味があるとされています。

紺屋町

さて、染物商は藍染めを主としたことから「紺屋」と言いました。呉服屋は着物を売る所、紺屋は藍染めなど染め物を作って売る所、ですね。

日本各地に紺屋町がありますが、城下町において職業別集住制が導入され、染め物職人が集まる染物商(紺屋)があった所です。

紀美野町の隣の和歌山市にも、東紺屋町・西紺屋町・湊紺屋町と、紺屋の地名があります。

名所江戸百景・神田紺屋町 歌川広重

ところで、江戸の三大呉服店をご存知でしょうか。越後屋・白木屋・大丸屋です。

当時呉服店は日本橋、大伝馬町にありました。駿河町の越後屋、通一丁目の白木屋、大伝馬町の大丸屋。

越後屋は三越伊勢丹、白木屋は東急百貨店、大丸屋は大丸松坂屋百貨店と、現代に続いています。

東都大伝馬街繁栄之図 歌川広重

刺し子

さて、藍染めと言えば「刺し子」。作業着などの補強や補修や保温のために、布を重ねてひと針ひと針刺し縫いしてできた衣料品を「刺し子」と言います。

東北地方などの寒冷地は綿の栽培に適さず、綿は貴重品として扱われました。1724年、農家倹約分限令によって、農民は綿布の使用が禁止され、藍染めの麻布を使用しました。

「刺し子」は、布を大事に使うための人々の知恵から生まれた技法で、綿が普及しはじめた江戸時代中頃から行なわれたとされています。糸には木綿糸が使われました。

日本三大「刺し子」と言われているのが、「こぎん刺し(青森県津軽地方)」、「南部菱刺し(青森県南部地方)、「庄内刺し子(山形県庄内地方)」。

通気性のよい麻布は防寒にならなかったことから、厳しい冬を乗り越えるためのアイディアが「こぎん刺し」・「南部菱刺し」です。重ねた布に細かな図柄を刺し縫いすることで、生地を強くしました。

衣料品の補強や保温するための刺し子でしたが、麻の葉など、絵柄に願いを込めるようになったそうです。

身近な「刺し子」として、武道の道着や花ふきんがあります。

 

寒い冬、温かい綿の着物を着ることができず、辛抱して毎日刺し子着を縫った人々の忍耐強さを見習って、日々仕事したいと思います。

 

(参考)
山藍摺り https://irocore.com/yamaaizuri/
イー薬草ドットコム http://www.e-yakusou.com/sou02/soumm246.htm
万葉の植物 ヤマアイ https://kemanso.sakura.ne.jp/yamaai.htm
藍の豆知識 https://biei.blue/info/mame/17/
ヤマアイ https://www.uekipedia.jp/%E5%B1%B1%E9%87%8E%E8%8D%89-%E3%83%A4%E8%A1%8C-%E3%83%A9%E8%A1%8C/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%A2%E3%82%A4/
デニムの伝統的な染色とは? https://nlf-japan.com/570/
名所江戸百景・神田紺屋町 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/512231
日本橋 呉服店から百貨店へ https://smtrc.jp/town-archives/city/nihombashi/p05.html
東北の衣生活で生まれた刺し子の文化
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssds/5/1/5_KJ00001035919/_pdf/-char/ja
こぎん刺しとは https://kld-c.jp/blog/what-is-koginzashi
日本の伝統技術「刺し子」とは https://kld-c.jp/blog/what-is-sashiko
刺し子 伝統模様 https://www.olympus-thread.com/basic/sashiko/21/
大槌刺し子 https://note.com/otsuchisashiko/n/nfa918714be32
歌舞伎いろは 藍染め 
https://www.kabuki-bito.jp/special/costume/naganuma/post-naganuma-60/3/
日本の伝統色 https://www.colordic.org/w
和色 https://wa-iro.com/
カラーセラピーライフ https://www.i-iro.com/dic-nippon
江戸の町を彩った藍色たち https://spark-a.com/design/48-ai/
住友化学園芸 植物栽培ナビ タデアイ https://www.sc-engei.co.jp/cultivation/detail/5337/藍の真実 東洋経済 https://toyokeizai.net/articles/-/159722
水野染工場 https://hanten.jp/column/aizome/indigo1

江戸も昭和も、冬はコタツと火鉢

皆さま、こんにちは。2月に入ってから寒い日が続きました。ここ和歌山県紀美野町も、最低気温が氷点下2℃になる日もあり、何度か雪が降りました。

うっすら積もる程度でしたが、日中も陽はささず厚い雲に覆われ、外に出ると北風にさらされ、5℃以下の寒さで凍えそうな日が続きました。

裏起毛のズボンやあったか下着を履いて寒さをしのぎました。

温暖な気候の和歌山ですが、会社から車で1時間の所にある高野山など山間部は、冬場はいつも雪が積もっています。高野山の1月の平均気温はマイナスです。

先日の雪の時、我が家の水道は幸い凍らなかったですが、マイナスとなるといろいろ備えます。蛇口や水道管にタオルを巻いたり、ちょろちょろと水を流したり。

外に置いてある洗濯機で洗濯しようとしたら、洗濯槽が凍って回らなかったという話も聞いたことがあります。

寒冷地にお住まいの方は本当にご苦労なことです。さらに昔の人は厳しい寒さに耐えての暮らし、どれほど心細かったかと思います。

だるまストーブと練炭火鉢

私が小学生の頃の昭和30年代、我が社の古い工場では大きな石炭ストーブ、だるまストーブを使っていました。だるまストーブは鋳鉄製の大型ストーブで、当時、駅の待合室や学校の教室で使用されていました。

当時工場で使っていたストーブは、下の写真ようなタイプだったと思います。

写真:旧北海中学校の石炭ストーブ  北海道開拓の村 ストーブめぐり 一般財団法人北海道歴史文化事業本部

冬場は毎朝、祖母が杉の葉や木のくずで火を起こしていました。工場の真ん中に設置したストーブの長い煙突が、壁穴を通って外へ伸びていました。

祖父母は八百屋さんでした

その頃、祖父母は地元野上町(のかみちょう)で八百屋さんを営んでいました。八百屋さんと言っても、野菜や果物の他、調味料・乾物・お茶・お魚・お菓子等の一般食料品、生活用品など、幅広く取り扱う小さな商店でした。

私は、その頃まだ走っていた野上電鉄の八幡馬場駅から電車に乗って学校へ行き、帰りも駅から祖父の店に直行。祖父と過ごしていました。

画像:YouTube 野上電鉄1993年(テレビ猪名川アーカイブス)より

野上電鉄

野上電鉄(野上電気鉄道)は、1916年(大正5年)から1994年(平成6年)まで、和歌山県海南市の日方駅と生石高原の登山口駅間11.4㎞を運行した鉄道です。JR紀伊本線の海南駅ができたのは、8年後の1924年(大正13年)。

当時、和歌山特産品のタワシやのロープを、港のある日方町(現 海南市)へ運ぶために開業されました。1、2両の車両で走り、乗車時間も5~10分程度でしたが、私は小・中・高と、毎日電車に乗って通学しました。

日方駅から紀伊野上駅までは、数カ所の鉄橋を通って田園風景が。紀伊野上駅を出ると清流貴志川に沿って走り、ちょっとした渓谷が見られました。

そして橋梁(きょうりょう)を渡り、登山鉄道の景色になり、登山口に到着しました。

長年地元の足として利用されてきましたが、経営悪化で運行終了になりました。現在、路線跡は健康ロード、歩道、国道になっています。

練炭火鉢

祖父の家の暖房は練炭火鉢。玄関土間から上がってすぐの所に置いてあり、暖かさは今の小型電器ストーブと同じくらいでした。

その頃、まだ石油ストーブはそれほど普及してなかったと思います。家庭に石油ストーブが普及したのは1960年代になってからのようです。

祖父がガスで練炭に火を付け、火がついたら練炭ばさみで練炭コンロに入れます。そして、練炭コンロを火鉢の中に入れ、使っていました。

火鉢の下の方に小窓があり、小窓の飽き具合で火加減を調節していました。練炭をセットすると丸一日はもったと思います。

隙間風のふく昔の木造の日本家屋でしたから、一酸化炭素中毒についてもそれほど神経質ではなかったです。

やかんでお湯を沸かしたり、鍋を使う時には、火鉢の上に五徳を置いて使っていました。

網を置いてかき餅や酒粕を焼いて食べたり、祖父はよくお燗を付けていました。

チロルチョコ

ところで皆さんはチロルチョコご存知でしょうか。1962年(昭和37年)の発売から63年のロングセラー商品。当時は一個10円で買えるチョコレートとして、とても流行りました。

その頃私は、チロルチョコの包紙を半分はいで手でつまみ、チロルチョコを練炭火鉢の上にかざしたり、火鉢の縁に載せたりして、いいころあいに溶けたのを食べるのが好きでした。

発売当初は一粒チョコを3つ連ねた形をしていたそうですが、10円からのスタートがオイルショックで20円に。その後30円に値上げしたものの、3つを1つにして10円に戻したそうです。

先日スーパーの菓子コーナーを探したところ、まだ販売されており、現在は1個30円程度でした。

豆炭コタツ

火鉢の他、我が家では湯たんぽがわりに豆炭コタツを使っていました。一般には「豆炭あんか」ですが、我が家では「豆炭コタツ」と言っていました。

穴の開いた鍋に豆炭1個を入れてガスで火を付け、器具に入れて蓋をし、布袋に入れます。冬場は毎日母が豆炭コタツを用意し、布団の中に入れて使っていました。

足元だけではなく、布団全体が温まりました。

当時我が家で使っていた物とは違いますが、下の写真のようなタイプです。我が家のあんかは丸型で布袋はビロードでした。

画像:豆炭あんか ミツウロコ

昭和30年代のコタツは、豆炭コタツでした。見た目は電器コタツと同じですが、コタツの熱源の箱部分に、豆炭の入った火床(燃焼器)をセットして使います。

火床には断熱材が入っており、24時間ぐらいはもったと思います。

画像:独立行政法人製品評価技術基盤機構 製品安全センター

あんかの中に入れる豆炭、コタツの中に入れる豆炭は、数が違うだけで構造は同じです。あんかの方には豆炭が1個。コタツの方には豆炭は10個程度まで入ったかと思います。

我が家では豆炭を使う暖房器具を「豆炭コタツ」と認識していたと思います。

江戸時代の暖房

昭和30年代頃は暖房に火鉢やコタツを使っていましたが、それは江戸時代も同じでした。

江戸時代の暖房は、囲炉裏・火鉢・コタツ。昭和30年代の燃料は石炭ですが、江戸時代の燃料は薪(たきぎ)、木炭や木炭を加工した炭団(たどん)でした。

江戸では火の扱いが厳しいため、火鉢とコタツ。薪(たきぎ)と木炭を使う囲炉裏は、農村で利用されたようです。

コタツには堀りごたつと、移動可能な置きごたつが。火鉢は四角や丸型、金属製や木製、陶器などで作られ、いろんな意匠の火鉢があったようです。

時代劇のテレビによく登場するのは長火鉢で、下に引出しがあったり、鉄瓶を置いてお湯を沸かしたりしたようです。

一勇斎国芳『つじうらをきく』,伊場久. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1309282

防寒着には、綿入れのどてら(=丹前)・半纏(はんてん)を着て、女性は袖頭巾(=御高祖頭巾、そでずきん・おこそずきん)を被って、凍てつく冬の寒さをしのいだそうです。

一猛斎芳虎『隅田川雪見』,美の. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1307786

江戸は燃料に木炭を、昭和30年代頃まで石炭を燃料に、コタツと火鉢で寒さをしのぎました。

石油・電気・ガスに恵まれ、スイッチひとつで部屋全体が暖かくなる今、災害時の暖房器具として、練炭コンロ・豆炭コンロ、それらを使ったコタツやあんか等が見直されています。

子供の頃、練炭火鉢を囲んで祖父と楽しい時を過ごしました。寒い冬の夜、母が布団に豆炭コタツを入れてくれると心も温まりました。

練炭火鉢も豆炭コタツも、冬場のいいコミュニケーションツールだと思います。

(参考)
・北海道開拓の村 ストーブめぐり 写真:旧北海中学校の石炭ストーブ 一般財団法人北海道歴史文化事業本部 
https://www.kaitaku.or.jp/assets/pdf/about/ws2020stove.pdf
・YouTube 野上電鉄1993年(テレビ猪名川アーカイブス)
https://www.youtube.com/watch?v=I551KJbEfkA
・乗り物ニュース 野上電鉄 https://trafficnews.jp/post/124221
・日本ロングセラー考 チロルチョコ NTTCOM
https://www.nttcom.co.jp/comzine/no067/long_seller/index.html
・ミツウロコヴェッセル  
https://www.mitsuuroko-vessel.com/business/energy/
・独立行政法人製品評価技術基盤機構 製品安全センター 豆炭コタツの構造
https://www.nite.go.jp/jiko/chuikanki/specialnews/news084.html
・suumoジャーナル 江戸時代の暖房器具
https://suumo.jp/journal/2015/10/26/99367/#:~:text=%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9A%96%E6%88%BF%E5%99%A8%E5%85%B7,%E3%82%92%E5%87%BA%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82
・一勇斎国芳『つじうらをきく』,伊場久. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1309282
・一猛斎芳虎『隅田川雪見』,美の. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1307786