皆さまこんにちは。9月も終わるというのに残暑が厳しいですね。ここ紀美野町でも日中は30度以上の蒸し暑い日が続いています。
それでもみかんのトップバッター、青い極早生みかんが出回るようになり、朝晩には虫の声が聴こえるようになりました。夏の疲れがでる今の季節には、甘酸っぱい青いみかんがちょうどいいです。置いておくと黄色になりますが、味は変わりません。
買ったり頂いたり我が家には今極早生みかんをはじめ、ぶどうに青なしや赤なし等があります。ありがたいことですが、この暑さでは傷みが早くなります。果物も野菜も季節のものは、実が生るときは一度になりますから、ひとつも無駄にせず上手に頂くというのはなかなか難しいです。
ご近所さんの手仕事
みかんの産地柄、特に冬みかんは頂く機会も多く、保存しているうちにどんどん悪くなって最後はカビが生えてしまうこともあります。そんなことにならないよう、ご近所さんは美味しいうちにひとつずつみかんを絞って果汁を保存袋に入れ、冷凍しています。
ひとつずつ手絞りとなるとなかなか大変ですが、こうしておくと新鮮なみかんジュースを味わえるとのことです。溶けかけのシャーベット状のみかんもシャリシャリして美味しそうですね。
季節の果物や野菜はミキサーでジュースに
先日も、極早生みかんを美味しいうちに食べていただこうとご近所さんに持っていきました。その方は、季節の果物や野菜を使ってジュースを作ります。伺うと、夏バテ防止にバナナと牛乳と畑で作っているゴーヤーのジュースを作って出してくれます。ゴーヤーの苦みはそれほど気にならず美味しくて、飲むといつも元気になる感じがします。
ご近所さんの影響で、我が家も季節の野菜や果物のジュースを作って飲むようになりました。今の季節よく作るのは、ご近所さんに頂いたゴーヤー、それにバナナ・牛乳に私はヨーグルトを入れてミキサーにかけて飲んでいます。
私はバナナ・牛乳・ヨーグルトをベースに、その時あった果物を入れて作ります。先日は、茹でておいたとうもろこしがあったので入れて作ってみたら、甘みがあって美味しかったです。
私もフルーツ牛乳のファンです
ちなみに私の友人は最近ミックスジュースを作って毎日飲んでいます。みかん・りんご・バナナ・水、そこに牛乳を少し入れてミキサーにかけるその味は、昔銭湯で風呂上がりに飲むのが好きだった瓶のフルーツ牛乳の味に近いそうです。
銭湯に行くとありましたね。牛乳、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳。私も懐かしの学生の頃、銭湯に行って風呂上がりにフルーツ牛乳を飲むのが好きでした。
この辺りに銭湯はないのですが、お隣海南市の和歌山マリーナシティにある温泉施設「黒潮温泉」に瓶のフルーツ牛乳がおいてあったと、出かけたスタッフが言っていました。
皆さんも、風呂上がりにフルーツ牛乳はいかがですか。
手動のミキサー
ところで、私がジュースづくりに使っているのはシンプルな普通のミキサーです。ご近所さんも今はシンプルな普通のミキサーを使っていますが、昔はお母様から譲られた手動のミキサーを使っていたそうです。
今のミキサーと同じでガラス容器を重い鉄の本体に取付け、サイドのハンドルをぐるぐるまわして使うそうです。
今のミキサーは値段はお手頃でもすぐに壊れるそうですが、お母様譲りの手動のミキサーは丈夫で昭和の子育て時代に20年以上も使えて大活躍したと言っていました。お母様の代からだと何十年物になるかわからないそうです。何十年も壊れずにずっと現役で使える道具は究極のエコ。すごいですよね。
話を伺ってネットで探してみたのですが、さすがに見つかりませんでした。スタッフがイラスト(イメージ)を描いてみました。
母にご近所さんの手動ミキサーの話をしたところ、私が子供の頃、近所に住んでいたアメリカ帰りのご一家のお母さんも手動ミキサーを使っていたことがわかりました!
手動ミキサーを見た時もびっくりしたそうですが、手作りのマヨネーズを頂いた時にはもっと驚いたと言っていました。その頃マヨネーズはまだ今ほど流通していなかったそうですし、日本の普段の食卓には想像もできない調味料を、しかも手作りするなんてびっくり仰天したそうです。
調べたところ、ポケットサイズのポリエチレン袋入り「キユーピー マヨネーズ」(50g)が発売されたのが1956年(昭和31年)。今のポリボトル容器入りの「キユーピー マヨネーズ」が発売されたのが1958年(昭和33年)でした。
私が覚えていることは、子供の頃お家へ遊びに行くと、そのお母さんがおやつにドーナツを作ってくれました。油鍋の上で道具を握ると、穴の開いたドーナツが油の中にぽんと落ちて浮かぶのを見て、びっくりしたのを覚えています。
アメリカ帰りのお母さんは、知らなかった調理道具を、それらを使って美味しいマヨネーズやドーナツを、母や私に新しい世界を見せてくれました。
根強い人気!!まだまだ現役の「足踏みミシン」
何十年も壊れず現役だった手動のミキサーの話を聞いて、ふと浮かんだのが「足踏みミシン」です。若い方はご存知ないかもしれませんが、今から40、50年前の昭和の頃は足踏みミシンが主流でした。どのお家にも木の作業台のミシンや箱形やのミシンが置いてありました。
●足踏みミシン
●足踏みミシン(箱形)
電気いらずで、両足で踏み板(ペタル)を踏むとベルトがまわって糸をつけた針が動いて生地を縫っていきます。分厚い生地が縫え、構造がシンプルなので修理も簡単、しかも丈夫と言われていました。
調べて見ると、昭和31年ミシンの全国普及率は75%。洋裁学校の全盛期だったそうです。その頃ミシンはいわゆる嫁入り道具で、ミシンを使って洋服を作る技術を学ぶために洋裁学校へ行ったそうです。だから今の70代以上の女性は大体ミシンができて、洋服も縫えるわけですね。
調べたところ、その頃サラリーマンの月給が2~3万円、テレビ本放送を開始しテレビは1台30万円前後。残念ながら足踏みミシンの価格はわかりませんでしたが、当時は積み立て貯金してミシンを購入していたと聞いています。
分厚い生地が縫えて丈夫な足踏みミシン。調べたところ、根強いファンが一定数いるようです。ミシンのベルトが切れ、交換用のベルトをネットで探して購入し、取付けてまた使えるようになった等喜びのコメントを何件も見かけました。
ちなみにご近所さんの80代のお姉さんも、足踏みミシン愛用者。一時期ベルトの不具合で使えなくなっていたそうですが、ベルトを交換してまた使えるようになったと言っていました。
私には馴染のある足踏みミシンですが、なんと今では「昭和レトロ」や「アンティーク」カテゴリーにいれられているようです。現役で使っているユーザーが一定数いるのに、レトロやアンティークなんですね。私にはピンときませんでした。レトロやアンティークとタイトルをつけるのはきっと若い方なのかもしれませんね。
ちなみに我が社は工業用電動足踏みミシンを使っています。古いミシンになると20年以上のものもあります。毎日使っていると、下糸を入れているボビンをセットするところの具合が悪くなったり、針が折れやすくなったり、均一に走れない等調子が悪くなることもあり、時々ミシン屋さんに修理に来てもらっています。
ベテランの技術者の方が来てその場で直してくれたり、その場で直せない時は持ち帰ります。ベテランの技術者の方はどんなミシンでも大体は修理できるそうですが、モーターやコンピューターのところが故障するとほとんどダメだそうです。その部分だけ交換すると新しいミシンと同じぐらいの価格になるとか。
今回足踏みミシンのことを調べていて、足踏みから電動まで「どんなミシンでも直します!」というミシンの修理屋さんが結構あったことに驚きました。修理してでも長く使いたいという方がまだまだいるということですね。
いい物は愛される
世の中にはいろんな便利な機能のついたミシンが出ているにも関わらず、それでも足踏みミシンを長年使っている人達がいることについて考えてみました。
それはまさに手仕事。手仕事をする人達には足踏みミシンは優れていて使いやすいのだと思います。使いやすいということは、故障が少ないことと、もし故障しても修理できる環境があること。故障が少ないということは、作りがシンプルだからだと思います。
手仕事をする人に愛用されている道具にはそのわけがあり、世の中が進化しても変わらない、変わってはいけない、暮らしのコンセプトがある気がします。
ご近所さんが長年愛用していたという手動ミキサーのお話をきっかけに、いろんなことを考えました。
(参考資料)
・戦後昭和史 家庭用ミシンの価格推移
https://shouwashi.com/transition-sewingmachine.html
・一般社団法人 家庭電気文化会
http://www.kdb.or.jp/syouwasiterebi.html
・キューピー
https://www.kewpie.com/