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江戸の藍染めブーム

皆さま、こんにちは。段々と蒸し暑くなってきました。今月半ば、全国的に突然気温が上がって真夏日になり、体がびっくりしました。35度になった所もあったそうです。

その後も湿度が80%以上にもなる日が続き、毎日クーラーをつけています。

真夏日になった頃、5月の第三日曜は、町内の一斉清掃。溝掃除をして暑くてぐったりでした。溝清掃が終ると、動木にある農業用ため池「樫河(かしこ)池」から田んぼに水を流して、田植えが行なわれます。

我が社は6月1日が衣替えですが、近年春頃から外気温が高いこと、工場は熱溶着機があってさらに暑くなることから、4月頃から夏の作業着に衣替えしています。

江戸の衣替え

江戸時代、幕府により武士の衣替えの日程と服装が指示されたのがはじまりです。衣替えは年4回あり、それが庶民に伝わったとされています。

 武家庶民
4月1日~5月4日 袷(あわせ) 小袖(こそで)袷(あわせ)  
5月5日~8月晦日 単衣(ひとえ) 帷子(かたびら)単衣(ひとえ)  
9月朔日~9月晦日袷(あわせ) 小袖(こそで)袷 (あわせ) 
10月朔日~3月晦日綿入れ 小袖(こそで)綿入れ


単衣(ひとえ)は、裏地のない一枚の布で作られた着物。
袷(あわせ)は裏地のある着物。
帷子は(かたびら)は、袷(あわせ)の裏地を外して単衣(ひとえ)にした着物。
綿入れとは、表地と裏地の間に綿を入れて仕立てたもの。

武家と庶民で若干違いがありますが、春秋は裏地のあるもの、夏は涼しい1枚もの、秋冬は温かいもの、となっており、今と同じですね。

ファッションに制限がかけられた江戸時代

さて江戸時代、着物の生地から色柄まで制限された江戸っ子は、茶色・鼠色・藍色など地味な色のバリエーションを作り、一見無地に見える江戸小紋柄を生み出したことは、前回のブログでお伝えしました。

先日東京近郊に住む友人が、最寄り駅前で待ち合わせ中に行き交う人々を眺めていたところ、明るい色の服を着ている人がいなかったそうです。

ユニクロさんの今シーズンのTシャツのカラバリを調べたところ、明るい色がなかったです。季節柄、ワンポイントにビビッドカラーがあってもよさそうですが。

アースカラー、くすんだ色、暗い色など地味ですね。ファッションを制限された江戸時代の四十八茶百鼠(しじゅゆうはっちゃひゃくねずみ)のラインナップのようです。

最近驚いたのは軽トラ。お世話になっている電気工事屋さん愛用の軽トラはミント色、パステルグリーンです。

調べたところ、車の名前はバスケット。2009年の東京モーターショーで公開。農業用や配送用以外の一般ユーザー向けのカジュアルなスタイルの車=軽トラとして、16年前から発売されていました。

軽トラと言えばほとんど白でしたが、パステルグリーンの軽トラは、軽トラのイメージを変えますね。

 

藍染め

さて、前回のブログでは江戸時代のファッションカラー鼠色と茶色について調べてご紹介しましたが、今回は藍色・藍染めについて調べてみました。

藍染めの原料の「藍」は人類最古の青色染料と言われているそうです。奈良時代に中国から日本に伝わったとされています。

 

鎌倉時代、1番濃い藍染めを「褐色(かちいろ)=勝色」といい、武士が鎧の下に着たそうです。藍色は武士の色として定着しました。

江戸時代、綿花栽培がさかんになり、木綿が量産されるようになりました。木綿の普及には肥料の干鰯(ほしか 現在のいりこ)の存在がありました。

木綿の量産により、着物や作業着、のれん等、藍染めを使った製品が作られました。藍染めは、綿との相性がよかったそうです。

藍で染めた布は強く、防虫効果や殺菌効果があり、野良着など仕事着や下着や足袋に使われたそうです。また、燃えにくく、保温性に優れたことから、道中着や火消しの半纏にも使われました。

現代のデニムといったところでしょうか。防虫効果や殺菌効果まであるとは驚きです。

藍染めの原料

藍色の色素が含まれている植物を「藍」、その植物で色を染めることを藍染めと言われています。

藍の含まれる植物には、トウダイクサ科(ヤマ藍)・タデ科(タデ藍)・アブラナ科(ウォード)・マメ科(琉球藍)・キツネノマゴ科(インド藍)などがあるようです。

日本に古来ある藍はトウダイクサ科の山藍(ヤマアイ)。葉の「青摺り(あおずり)」が使われました。青摺りは緑色に染まるそうです。山青摺り(やまあおずり)という和の色がありました。


藍染めの原料はタデ科の「タデ藍」。タデ藍は東南アジアから中国にかけて自生するタデ科の植物で、6世紀頃に日本に伝わったとされています。

江戸時代から阿波(現在の徳島県)が藍の産地として知られています。

藍染めには「生葉染め」「乾燥葉染め」「すくも染め」があります。生葉染めは濃くそまらず、すくも染めが最も濃く染まるそうです。

春にタネをまき、夏に刈りとったものを使うのが生葉染め。
生葉を乾燥させた乾燥葉を使うのが乾燥葉染め。
生葉を乾燥させ、水を加えて発酵させた染料「すくも」を使ったのがすくも染め。

すくもを運搬しやすいように臼で突いて固めて乾燥させて扁円形の小さな固まりにしたものが「藍玉」。

染料に布や糸を浸して天日でかわかす作業を何度も繰り返すことによって、深みのある藍色ができるそうです。

藍色、紺色、浅葱色など、染める回数によって濃淡が生まれます。藍48色と言われる程のバリエーションがあるそうです。淡い色は色相が緑よりに、濃い色は紫よりになります。

藍染めとインディゴ染めの違いは?

藍染めとインディゴ染めの違いについて調べたところ、

タデ藍などの植物から生成される天然染料を使ったのが藍染め。
化学薬品を使って人工的に作られた合成染料を使ったのがインディゴ染め。

藍染めは、原料となる植物を栽培して染料を作ることからはじまり、時間と技術が必要でコストもかかりますが、色落ちや色移りが少なく、深い色合いがあります。

インディゴ染めは安定して染められ、安価に大量生産できるようになり、ジーンズが普及しました。色落ちしますが、それも味があるとされています。

紺屋町

さて、染物商は藍染めを主としたことから「紺屋」と言いました。呉服屋は着物を売る所、紺屋は藍染めなど染め物を作って売る所、ですね。

日本各地に紺屋町がありますが、城下町において職業別集住制が導入され、染め物職人が集まる染物商(紺屋)があった所です。

紀美野町の隣の和歌山市にも、東紺屋町・西紺屋町・湊紺屋町と、紺屋の地名があります。

名所江戸百景・神田紺屋町 歌川広重

ところで、江戸の三大呉服店をご存知でしょうか。越後屋・白木屋・大丸屋です。

当時呉服店は日本橋、大伝馬町にありました。駿河町の越後屋、通一丁目の白木屋、大伝馬町の大丸屋。

越後屋は三越伊勢丹、白木屋は東急百貨店、大丸屋は大丸松坂屋百貨店と、現代に続いています。

東都大伝馬街繁栄之図 歌川広重

刺し子

さて、藍染めと言えば「刺し子」。作業着などの補強や補修や保温のために、布を重ねてひと針ひと針刺し縫いしてできた衣料品を「刺し子」と言います。

東北地方などの寒冷地は綿の栽培に適さず、綿は貴重品として扱われました。1724年、農家倹約分限令によって、農民は綿布の使用が禁止され、藍染めの麻布を使用しました。

「刺し子」は、布を大事に使うための人々の知恵から生まれた技法で、綿が普及しはじめた江戸時代中頃から行なわれたとされています。糸には木綿糸が使われました。

日本三大「刺し子」と言われているのが、「こぎん刺し(青森県津軽地方)」、「南部菱刺し(青森県南部地方)、「庄内刺し子(山形県庄内地方)」。

通気性のよい麻布は防寒にならなかったことから、厳しい冬を乗り越えるためのアイディアが「こぎん刺し」・「南部菱刺し」です。重ねた布に細かな図柄を刺し縫いすることで、生地を強くしました。

衣料品の補強や保温するための刺し子でしたが、麻の葉など、絵柄に願いを込めるようになったそうです。

身近な「刺し子」として、武道の道着や花ふきんがあります。

 

寒い冬、温かい綿の着物を着ることができず、辛抱して毎日刺し子着を縫った人々の忍耐強さを見習って、日々仕事したいと思います。

 

(参考)
山藍摺り https://irocore.com/yamaaizuri/
イー薬草ドットコム http://www.e-yakusou.com/sou02/soumm246.htm
万葉の植物 ヤマアイ https://kemanso.sakura.ne.jp/yamaai.htm
藍の豆知識 https://biei.blue/info/mame/17/
ヤマアイ https://www.uekipedia.jp/%E5%B1%B1%E9%87%8E%E8%8D%89-%E3%83%A4%E8%A1%8C-%E3%83%A9%E8%A1%8C/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%A2%E3%82%A4/
デニムの伝統的な染色とは? https://nlf-japan.com/570/
名所江戸百景・神田紺屋町 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/512231
日本橋 呉服店から百貨店へ https://smtrc.jp/town-archives/city/nihombashi/p05.html
東北の衣生活で生まれた刺し子の文化
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssds/5/1/5_KJ00001035919/_pdf/-char/ja
こぎん刺しとは https://kld-c.jp/blog/what-is-koginzashi
日本の伝統技術「刺し子」とは https://kld-c.jp/blog/what-is-sashiko
刺し子 伝統模様 https://www.olympus-thread.com/basic/sashiko/21/
大槌刺し子 https://note.com/otsuchisashiko/n/nfa918714be32
歌舞伎いろは 藍染め 
https://www.kabuki-bito.jp/special/costume/naganuma/post-naganuma-60/3/
日本の伝統色 https://www.colordic.org/w
和色 https://wa-iro.com/
カラーセラピーライフ https://www.i-iro.com/dic-nippon
江戸の町を彩った藍色たち https://spark-a.com/design/48-ai/
住友化学園芸 植物栽培ナビ タデアイ https://www.sc-engei.co.jp/cultivation/detail/5337/藍の真実 東洋経済 https://toyokeizai.net/articles/-/159722
水野染工場 https://hanten.jp/column/aizome/indigo1

GW期間中の休業について

平素より弊社製品をご利用頂き、誠にありがとうございます。
ゴールデンウィーク期間は暦通りに休業させていただきます。

ご不便をお掛けいたしますが、何卒宜しくお願い申し上げます。

【休業日】
2025年4月29(火)
5月3日(土)・5月4日(日)・5月5日(月) ・5月6日(火)

 

江戸っ子の意地

皆さま、こんにちは。先日、ご近所さんからタケノコとわらびをいただきました。この冬は何度も雪が降ったりして寒かったせいか、例年よりタケノコのできが遅かったそうです。

紀美野町内では田植えの準備中です。

さて、政府が備蓄米を放出したにも関わらず、米の価格は下がるどころか上がっています。さすがに関税を払ってでも輸入しようと、民間が独自に輸入する米は増えているようです。

大手スーパーは、西友が台湾米を、イオンがカリフォルニア米と国産米をブレンドした米を販売するようになりました。輸入食材店では日本の米に近いベトナム米が販売されています。

日本人なら日本のお米を食べたい、農家さんを応援したいと思っていますが、半年以上も値上りが続き家計を圧迫。国内米が買えないなら輸入米、という動きも当然です。

まずは主食の米や食料。となると、新しい春夏物の服や靴やバッグ等、ファッションアイテムにまで手が回らないこともあるかと思います。

今年のトレンドカラー

ところで、ファッションと言えば、今年のトレンドカラーは何色かご存じでしょうか。
パントーン社が毎年実施している『カラー・オブ・ザ・イヤー』は、温かみを感じるマイルドなブラウン「モカ・ムース」でした。

2025年春夏トレンドファッションのキーワードにも、ブラウンが入っていました。

茶色は一見地味ですが、同じベースカラーとして使われる黒のようにキツくないですし、紺のように堅い印象もないです。温かみのある色だと思います。

地味な茶色を粋にした時代がありました。江戸です。今回のブログも江戸にいってみましょう。

着物の生地・色・柄に制限

265年続いた江戸時代(1603~1868年)、幕府は贅沢を禁じて倹約を奨励・強制するための法令を何度か出しています。

取り締まりが厳しくなったのが、三大改革(享保の改革、寛政の改革、天保の改革)の頃のようです。

禁止令により、着物の仕様に制限がかけられました。その内容もかなり細いものだったようです。1628年(寛永五年)、農民は木綿・麻以外の着物を着ることが禁止されました。

生地だけでなくも制限されました。
紅、紫色を禁止。農民、町人、商人、武士も茶・藍・黒・鼠系統の地味な色合いの着物を着ました。

テレビの時代劇では、同心は黄八丈の格子柄を着ていますが、殿様クラスを除き、それ以外の侍や浪人は紺や濃いグレー、町人は茶色系など、地味な色の着物を着ているように思います。

町のファッションリーダーの芸者さんの着物を見ると確かに黒が多いですが、模様は華やかですし、大店のお嬢さんは華やかな色の着物を着ています。吉原の花魁はもっと華やかな着物を着ています。

禁止令の緩い時期、と設定しているのか、これらはテレビ用の演出で、実際はもっと地味だったのかもしれませんね。

生地や色にとどまらず、品代も規制されました。制限が将軍の正室の着物は銀400目以下、庶民は銀200目以下(30万円程度)、と上限がつけられたそうです。

人と同じは嫌だった江戸っ子

江戸っ子は反骨精神旺盛で、規制にも負けなかったようです。茶・藍・鼠色の濃淡を調整することでたくさんの色を生み出し、色名も〇〇鼠等、地味な名前がつけられました。

これがいわゆる「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」です。茶色で四十八、鼠色には百あるという意味ですが、数は正確ではないようで、実際にはもっとあるそうです。

地味な色でも、それぞれおしゃれに楽しみたいという庶民の思いがあったからこそ、職人による染の技術が発展しました。

鼠色

昔からある和の色、日本国内の規格、グローバルの規格などごちゃまぜですが、鼠と名前のついた色を調べて見ました。

茶色

続いて茶色について調べて見ました。緑っぽい茶色、黄色っぽい茶色、赤っぽい茶色と、かなり幅があります。地味ですが、鼠色に比べると明るい印象です。

当時のファッションリーダーは歌舞伎役者さんでした。歌舞伎役者が愛用した色に茶色が多かったそうで、色には役者さんの名前がついています。「団十郎茶」の柿色は有名ですね。

今年トレンドカラーの「モカ・ムース」と、「団十郎茶」を胸付きズボンにするとこんな感じに。ビビッドな色が多い水産合羽の中では、あまり見たことがない色味ですね。

弊社製品「エミック」のカラーバリエーション「オリーブ」は、上の色見本の「市紅茶」・「鶯茶」に近いと思います。

 

規制から生まれた江戸小紋

生地と色、そしても制限されました。
派手な柄は禁じられ、江戸の人々は縞・格子・小紋等、表向きに目立たないものを着用しました。
その結果、一見無地に見えるほど小さな柄の「江戸小紋」が生まれました。

江戸小紋は、和紙に図柄を彫って型紙を作り、生地に白抜き柄(模様)を型染めする技法です。同じ絵柄を何枚も染めることができる江戸小紋には高度な技術が必要で、型彫り師・型付け・染め等の技が発達しました。

型付けとは、生地の上に型紙をおき、防御糊を駒というヘラで塗りつけていく作業です。糊を塗った部分は色が染まらず、白い柄になります。

紙を彫る、というのがピンときませんでしたが、調べたところ、美濃和紙を3枚重ねて柿渋を貼り合わせた紙だそうです。また、柄ごとの道具があり、その道具を使って彫るそうです。

例えば、最も技術のいる「鮫柄」の場合、小さな三日月型の刃の突いた錐を生地に垂直にあて、刃をくるりと回して穴をひとつ彫るそうです。

穴は「皆(かい)」と言い、最初から最後まで同じ皆目で揃えることが必要になるとのこと。江戸小紋の代名詞「鮫柄」の中でも「極鮫」という柄を作るには、20年修行が必要になるそうです。

武士も競った裃(かみしも)の江戸小紋柄

江戸小紋流行のきっかけは、参勤交代。武士が江戸城へ出仕する時の服装に気を遣い、各藩で裃(かみしも)の小紋柄を競って作り、他藩の使用を制限したそうです。

東映時代劇YouTube 吉宗評判記・暴れん坊将軍 第01話[公式]

「江戸小紋三役」・「江戸小紋五役」と言われる柄は、格上の柄として知られています。

江戸小紋三役  鮫・行儀・通し(角通し)
江戸小紋五役  鮫・行儀・通し(角通し)・大小霰・縞

和歌山県ゆかりの紀州徳川家は、鮫柄。それも、1寸(約3.75㎝)四方に、900以上の皆目(かいめ)を彫った「極鮫」です。

当時、江戸小紋の型紙は「伊勢型紙」と言われ、紀州藩の領地、伊勢で作られました。「極鮫」は、型紙づくりのお膝元の職人技として知られています。

謂れ(いわれ)小紋

江戸小紋には、武士の裃(かみしも)柄の(定め小紋)の他に、謂れ(いわれ)小紋があります。

花鳥風月、生活用品、野菜、動物、縁起物など、普段の暮らしの中にあるものが図柄になっています。数え切れないほどあるそうです。

江戸小紋の彫り師さんら、職人チームの神わざのような技術には驚きです。

我が社も職人が合羽をひとつずつ手作りしていますが、どれも同じ品質になるよう、常に慎重に作業したいと思います。

今回、改めて感心したのは、江戸っ子の意地です。
法令を受入れつつ、代わりに地味な色柄のバリエーションを作ってお洒落に着こなしました。

着物の裏地に柄を入れたり、鮮やかな紅絹(もみ)を入れたり、赤い長襦袢を着て、地味な表着の裾から華やかな小紋柄がチラリと見えるようにする等、すごい意地です。

正義感の強い江戸っ子気質では、反抗してすぐにお咎めを受けそうなところですが。そこをぐっと堪えて、いろいろ考えて試したのだと思います。

我が社の製品に置き換えてみると、裏地に鮮やかな色や格子や縞柄を使ったり、足元の部分だけ違う色に替えたり・・・というようなことになりますが、防水仕様の生地をオーダーしている現状では、そんな物はできない、となります。

けれども江戸の文化は、できなかったことに挑戦して発展しました。

そのような江戸っ子の意地を見習って、日々仕事したいと思います。

(参考)
・VOGUE 2025年パントーンカラーオブザイヤーはモカ・ムース 
https://www.vogue.co.jp/article/pantone-color-2025-mocha-mousse
・ELLE 
春夏トレンドファッション 流行ファッションキーワード 
https://www.elle.com/jp/fashion/trends/a62744863/2024-spring-summer-trend-keyword-2411/
・トラディショナルカラーズ https://www.traditionalcolorsofjapan.com/
・カラーセラピーライフ https://www.i-iro.com/dic-nippon
・松木呉服店 ブログ 江戸の奢侈禁止令と呉服
https://819529.com/2015/06/%e6%b1%9f%e6%88%b8%e5%ba%b6%e6%b0%91%e3%81%ae%e3%83%95%e3%82%a1%e3%83%83%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%b3%e4%ba%8b%e6%83%85%ef%bc%88%e5%89%8d%e7%b7%a8%ef%bc%89%e3%83%bb%e5%a5%a2%e4%be%88%e7%a6%81%e6%ad%a2/
・松木呉服店 ブログ 江戸小紋染めとは
https://819529.com/2023/10/%e6%b1%9f%e6%88%b8%e5%b0%8f%e7%b4%8b%e3%81%ae%e6%a5%b5%e3%82%81%e3%81%a8%e3%81%af%ef%bc%88%e5%be%8c%e7%b7%a8%ef%bc%89%e3%80%80%e3%80%80%e9%ae%ab%e3%81%a8%e8%ac%82%e3%82%8c%e6%9f%84%e3%82%92%e6%a5%b5/
・和楽 https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/122635/

イワシの話

皆さま、こんにちは。3月は二度雪が降り、山全体が真っ白になる寒い日もありました。

下旬に入り、近所の垂桜の蕾みが膨らみ、つばめもやってきて春の訪れを感じた矢先、突然春を通り越して初夏のような陽気になりました。

それがまた寒の戻りで真冬並の気温になっています。

ジェットコースターのような気温の変化に体がびっくりしていますが、おかげさまで元気にご注文の品づくりに取り組んでおります。

黒潮とイワシ

さて、先日石川県の漁協関係の方から、2月頃からイワシ多くが獲れるようになったとの話を伺いました。

いわしの産地と言えば、黒潮と親潮がぶつかる房総沖。プランクトンが豊富な好漁場として知られています。それがここ数年、日本海側の富山や石川でイワシが豊漁になっています。

近所のスーパーでも、産地が石川のイワシが並んでいました。調べたところ、黒潮北上の影響のようです。

上の図は2025年3月末現在のメディア等の情報を参考に作成

房総沖から東に流れていた黒潮(暖流)が、海洋環境の変化によって北海道の南まで流れるようになり、親潮は千島列島に沿って宮城沖付近まで南下するところ、道東沖でとどまっています。

漁場が北に移り、現在釧路ではイワシが豊漁に、本来産地の房総沖ではイワシやサバが不漁になっています。

富山や石川でイワシが豊漁になっているのは、太平洋側から津軽海峡を通って日本海へ入ってきたとの見方があるようです。

イワシのように本来の産地で不漁、違う場所で獲れるようになっているケースは他にもあるようです。

新しい産地とするには、海洋環境がどうなるかわからず、漁業・経済両面から難しいテーマだと思います。

江戸時代イワシは肥料・燃料だった

さて、イワシは一番獲れる魚として知られています。大ぶりなものは焼き魚や刺身などに、小さなイワシはいりこ(煮干し)になり出汁として使い、私たちにとって最も身近な魚です。

西日本では「いりこ」、関東では「煮干し」、と呼び名が違います。煮干しは小魚を煮て干したもので、一般に煮干しというと「イワシの煮干し」のこと。

イワシは食料の他、肥料や燃料として昔から利用されてきました。現在も、有機栽培などに魚肥が使われています。そのルーツは江戸にありました。

干鰯(ほしか)

江戸時代、イワシを干したものを干鰯(ほしか)といい、干鰯は綿花栽培などの肥料でした。干鰯は現在の煮干し(いりこ)です。

約350年前の江戸時代に、干鰯(ほしか)用のイワシを追って千葉に向かった和歌山の漁師さんによって、銚子の漁業がはじまりました。

醬油や鰹節の製造技術も、江戸時代に和歌山から千葉に伝えられました。

窒素を多く含んでいる肥料(人糞尿、馬糞、牛糞)よりも、リン酸・カリを含んでいる干鰯の方が、綿花や野菜など花が咲いて実の成る作物の成りがよかったそうです。

当時も房総の銚子や九十九里でイワシ漁が行なわれていました。獲ったイワシを砂浜に撒いて、春夏は10~15日、秋冬は25~30日干して干鰯(ほしか)を作ったそうです。

作られた干鰯(ほしか)は船や陸路で江戸深川・相州浦賀の干鰯問屋へ運ばれ、船で上方へ運ばれたそうです。

江戸が舞台の時代小説にも干鰯問屋が登場したり、銚子や九十九里で獲れた干鰯の買いつけに、上方から江戸にやってくる商人の話をテレビの時代劇で見たことがあります。

年貢として取り立てられる米と違い、綿花は綿を栽培して糸に紡いで現金収入を得る換金作物でした。近畿地方で綿花栽培がさかんだったようです。

干鰯によって綿花の生産量が増えたことにより、綿花を材料とする木綿の生産量が増え、庶民の服が麻から木綿へと変わったそうです。

江戸のあかりとイワシ油

さて、江戸時代、庶民の照明器具は行灯(あんどん)でした。寒い冬、ほんのりともる灯りを見て、人々はほっとしたと思います。

行灯は、火の回りを紙を貼った枠で囲んで、火が消えないように工夫された照明器具です。行灯の中には、受け皿の上に油皿が置いてあり、布やい草などの灯心を油にひたして使ったそうです。

家では置き行灯を使い、丸行灯や角行灯など様々なデザインがあったようです。その他、家の入り口や軒先、柱や廊下などにかける掛行灯。商家の店先などに使う釣行灯などがありました。

行灯の燃料には菜種油と魚油(イワシ油)が使われていました。イワシの油は〆粕(しめかす)を作る工程(煮沸・圧搾)でできる油です。約4.5kgのイワシから300ml程度の油が採れたそうです。

〆粕(しめかす)は、生のイワシを窯で煮て油を絞って乾かしたもので、干鰯よりも価格が高かったそうです。

菜種油よりイワシ油の方が安く、庶民はイワシの油を使いました。臭いや煙が強かったようです。

当時、油は油売りの行商人が天秤棒で油桶をかついで売り歩き、お客さんが持ってきた升や油差しに柄杓で油を注いでいました。

油のしずくがきれるまでに時間がかかることから、その間油売りは、お客さんと世間話をして間を持たせました。「油を売る」という表現は、ここからきているそうです。

油売りは真面目に接客していただけだと思いますが。その様子が無駄話をしているように見られ、仕事をさぼっているというニュアンスで使われるようになったとは思わなかったです。

喜田川季荘 編『守貞謾稿』巻6,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2592395 (参照 2025-03-29)

油のコスト 

臭いがキツくて煙があるイワシの油を買った庶民。油代は今のお金に換算するとどの程度になるのか、調べてみました。

江戸は300年程続きましたが、その間、貨幣価値に変動がありました。そこで一般に目安とされる、江戸初期~中期の1両10万、1文25円、で計算したいと思います。

まず、単位からおさらいします。

1升の10分の1が1合  1合の10分の1が1勺
1升=1.8リットル(1800ml) 1合=0.18リットル(180ml) 1勺=0.018リットル(18ml) 

行商人から菜種油を買うと1合(180ml)41文。一文25円とすると1025円
1日4~5勺使ったそうですから、5勺とすると0.09リットル(90ml)で512.5円
1ヶ月2.7リットル(2700ml)615文で15375円

イワシ油
1合(180ml)13~14文。14文として一文25円とすると350円
1日 5勺(90ml)175円
1ヶ月2.7リットル(2700ml)5250円

菜種油は1日512.5円・1ヶ月15375円、イワシ油は1日175円・1ヶ月5250円、と菜種油の3分の1。1日200円でおつりがあります。庶民がイワシの油を買ったわけですね。

菜種油を使う客商売の宿や店などは、さぞ油代がかさんだことと思います。

江戸時代かけそば一杯16文。一文25円とすると400円。こちらも思ってたより高いです。調べたところ、現在立ち食いそば屋さんのかけ蕎麦は420~430円程度。さほど変わりませんね。

蝋燭(ろうそく)は高かった

さて、油代にそれほどお金がかかるなら蝋燭は?と思いました。時代劇のテレビでも、御店のご主人の外出時に、手代がろうそくの入った提灯を持って足元を照らしているのをよく見ます。

調べたところ江戸時代、ろうそくの値段は高かったようです。庶民がろうそくを使うのは主に持ち歩く時で、普段は行灯でした。

ろうそくの原料は櫨(はぜ)の木の実を搾ったエッセンス。ろうそくづくりはいくつも工程があり、技術が必要でした。原料が製品になるまで大変手間がかかったことから、貴重な品物として扱われ、また再利用されました。

江戸時代は物を大事にする精神があり、便利になった今の世の中、学ぶべきところがたくさんあります。

また、海で獲れたものを畑の肥料にするとは、思いつかないことです。目の前の課題に対して、いろいろ試したのだと思います。そのような姿勢も見習って仕事したいと思います。

 

(参考)
・イワシ dメニューニュース(朝日新聞) 
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/asahi_region/business/asahi_region-ASSDW4RGPSDWUDCB004M
・イワシ FNNプライムオンライン   https://www.fnn.jp/articles/-/841873
・イワシ スポニチアネックス 
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2025/02/14/kiji/20250214s00041000096000c.html
・日本人の生活を変えたイワシ 豊海おさかなミュージーアム
https://museum.suisan-shinkou.or.jp/guide/iwashi-world/3506/
・イワシ漁のあゆみと食文化 http://bunka-isan.awa.jp/News/item/000/170/ul1218152721.pdf
・コラム江戸 クリナップ  https://cleanup.jp/life/edo/55.shtml
・イワシの油 http://www.oceandictionary.jp/scapes1/scape_by_randam/randam22/select2253.html
・江戸のあかり 東京油問屋市場 https://www.abura.gr.jp/contents/shiryoukan/rekishi/rekish39.html
・行灯の明かりと庶民の暮らし https://www.abura.gr.jp/history2016/edo-akari_col05.pdf
・江戸のお金について 深川江戸資料館
https://www.kcf.or.jp/cms/files/pdf/original/30977_%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88149%E5%8F%B7.pdf

 

江戸も昭和も、冬はコタツと火鉢

皆さま、こんにちは。2月に入ってから寒い日が続きました。ここ和歌山県紀美野町も、最低気温が氷点下2℃になる日もあり、何度か雪が降りました。

うっすら積もる程度でしたが、日中も陽はささず厚い雲に覆われ、外に出ると北風にさらされ、5℃以下の寒さで凍えそうな日が続きました。

裏起毛のズボンやあったか下着を履いて寒さをしのぎました。

温暖な気候の和歌山ですが、会社から車で1時間の所にある高野山など山間部は、冬場はいつも雪が積もっています。高野山の1月の平均気温はマイナスです。

先日の雪の時、我が家の水道は幸い凍らなかったですが、マイナスとなるといろいろ備えます。蛇口や水道管にタオルを巻いたり、ちょろちょろと水を流したり。

外に置いてある洗濯機で洗濯しようとしたら、洗濯槽が凍って回らなかったという話も聞いたことがあります。

寒冷地にお住まいの方は本当にご苦労なことです。さらに昔の人は厳しい寒さに耐えての暮らし、どれほど心細かったかと思います。

だるまストーブと練炭火鉢

私が小学生の頃の昭和30年代、我が社の古い工場では大きな石炭ストーブ、だるまストーブを使っていました。だるまストーブは鋳鉄製の大型ストーブで、当時、駅の待合室や学校の教室で使用されていました。

当時工場で使っていたストーブは、下の写真ようなタイプだったと思います。

写真:旧北海中学校の石炭ストーブ  北海道開拓の村 ストーブめぐり 一般財団法人北海道歴史文化事業本部

冬場は毎朝、祖母が杉の葉や木のくずで火を起こしていました。工場の真ん中に設置したストーブの長い煙突が、壁穴を通って外へ伸びていました。

祖父母は八百屋さんでした

その頃、祖父母は地元野上町(のかみちょう)で八百屋さんを営んでいました。八百屋さんと言っても、野菜や果物の他、調味料・乾物・お茶・お魚・お菓子等の一般食料品、生活用品など、幅広く取り扱う小さな商店でした。

私は、その頃まだ走っていた野上電鉄の八幡馬場駅から電車に乗って学校へ行き、帰りも駅から祖父の店に直行。祖父と過ごしていました。

画像:YouTube 野上電鉄1993年(テレビ猪名川アーカイブス)より

野上電鉄

野上電鉄(野上電気鉄道)は、1916年(大正5年)から1994年(平成6年)まで、和歌山県海南市の日方駅と生石高原の登山口駅間11.4㎞を運行した鉄道です。JR紀伊本線の海南駅ができたのは、8年後の1924年(大正13年)。

当時、和歌山特産品のタワシやのロープを、港のある日方町(現 海南市)へ運ぶために開業されました。1、2両の車両で走り、乗車時間も5~10分程度でしたが、私は小・中・高と、毎日電車に乗って通学しました。

日方駅から紀伊野上駅までは、数カ所の鉄橋を通って田園風景が。紀伊野上駅を出ると清流貴志川に沿って走り、ちょっとした渓谷が見られました。

そして橋梁(きょうりょう)を渡り、登山鉄道の景色になり、登山口に到着しました。

長年地元の足として利用されてきましたが、経営悪化で運行終了になりました。現在、路線跡は健康ロード、歩道、国道になっています。

練炭火鉢

祖父の家の暖房は練炭火鉢。玄関土間から上がってすぐの所に置いてあり、暖かさは今の小型電器ストーブと同じくらいでした。

その頃、まだ石油ストーブはそれほど普及してなかったと思います。家庭に石油ストーブが普及したのは1960年代になってからのようです。

祖父がガスで練炭に火を付け、火がついたら練炭ばさみで練炭コンロに入れます。そして、練炭コンロを火鉢の中に入れ、使っていました。

火鉢の下の方に小窓があり、小窓の飽き具合で火加減を調節していました。練炭をセットすると丸一日はもったと思います。

隙間風のふく昔の木造の日本家屋でしたから、一酸化炭素中毒についてもそれほど神経質ではなかったです。

やかんでお湯を沸かしたり、鍋を使う時には、火鉢の上に五徳を置いて使っていました。

網を置いてかき餅や酒粕を焼いて食べたり、祖父はよくお燗を付けていました。

チロルチョコ

ところで皆さんはチロルチョコご存知でしょうか。1962年(昭和37年)の発売から63年のロングセラー商品。当時は一個10円で買えるチョコレートとして、とても流行りました。

その頃私は、チロルチョコの包紙を半分はいで手でつまみ、チロルチョコを練炭火鉢の上にかざしたり、火鉢の縁に載せたりして、いいころあいに溶けたのを食べるのが好きでした。

発売当初は一粒チョコを3つ連ねた形をしていたそうですが、10円からのスタートがオイルショックで20円に。その後30円に値上げしたものの、3つを1つにして10円に戻したそうです。

先日スーパーの菓子コーナーを探したところ、まだ販売されており、現在は1個30円程度でした。

豆炭コタツ

火鉢の他、我が家では湯たんぽがわりに豆炭コタツを使っていました。一般には「豆炭あんか」ですが、我が家では「豆炭コタツ」と言っていました。

穴の開いた鍋に豆炭1個を入れてガスで火を付け、器具に入れて蓋をし、布袋に入れます。冬場は毎日母が豆炭コタツを用意し、布団の中に入れて使っていました。

足元だけではなく、布団全体が温まりました。

当時我が家で使っていた物とは違いますが、下の写真のようなタイプです。我が家のあんかは丸型で布袋はビロードでした。

画像:豆炭あんか ミツウロコ

昭和30年代のコタツは、豆炭コタツでした。見た目は電器コタツと同じですが、コタツの熱源の箱部分に、豆炭の入った火床(燃焼器)をセットして使います。

火床には断熱材が入っており、24時間ぐらいはもったと思います。

画像:独立行政法人製品評価技術基盤機構 製品安全センター

あんかの中に入れる豆炭、コタツの中に入れる豆炭は、数が違うだけで構造は同じです。あんかの方には豆炭が1個。コタツの方には豆炭は10個程度まで入ったかと思います。

我が家では豆炭を使う暖房器具を「豆炭コタツ」と認識していたと思います。

江戸時代の暖房

昭和30年代頃は暖房に火鉢やコタツを使っていましたが、それは江戸時代も同じでした。

江戸時代の暖房は、囲炉裏・火鉢・コタツ。昭和30年代の燃料は石炭ですが、江戸時代の燃料は薪(たきぎ)、木炭や木炭を加工した炭団(たどん)でした。

江戸では火の扱いが厳しいため、火鉢とコタツ。薪(たきぎ)と木炭を使う囲炉裏は、農村で利用されたようです。

コタツには堀りごたつと、移動可能な置きごたつが。火鉢は四角や丸型、金属製や木製、陶器などで作られ、いろんな意匠の火鉢があったようです。

時代劇のテレビによく登場するのは長火鉢で、下に引出しがあったり、鉄瓶を置いてお湯を沸かしたりしたようです。

一勇斎国芳『つじうらをきく』,伊場久. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1309282

防寒着には、綿入れのどてら(=丹前)・半纏(はんてん)を着て、女性は袖頭巾(=御高祖頭巾、そでずきん・おこそずきん)を被って、凍てつく冬の寒さをしのいだそうです。

一猛斎芳虎『隅田川雪見』,美の. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1307786

江戸は燃料に木炭を、昭和30年代頃まで石炭を燃料に、コタツと火鉢で寒さをしのぎました。

石油・電気・ガスに恵まれ、スイッチひとつで部屋全体が暖かくなる今、災害時の暖房器具として、練炭コンロ・豆炭コンロ、それらを使ったコタツやあんか等が見直されています。

子供の頃、練炭火鉢を囲んで祖父と楽しい時を過ごしました。寒い冬の夜、母が布団に豆炭コタツを入れてくれると心も温まりました。

練炭火鉢も豆炭コタツも、冬場のいいコミュニケーションツールだと思います。

(参考)
・北海道開拓の村 ストーブめぐり 写真:旧北海中学校の石炭ストーブ 一般財団法人北海道歴史文化事業本部 
https://www.kaitaku.or.jp/assets/pdf/about/ws2020stove.pdf
・YouTube 野上電鉄1993年(テレビ猪名川アーカイブス)
https://www.youtube.com/watch?v=I551KJbEfkA
・乗り物ニュース 野上電鉄 https://trafficnews.jp/post/124221
・日本ロングセラー考 チロルチョコ NTTCOM
https://www.nttcom.co.jp/comzine/no067/long_seller/index.html
・ミツウロコヴェッセル  
https://www.mitsuuroko-vessel.com/business/energy/
・独立行政法人製品評価技術基盤機構 製品安全センター 豆炭コタツの構造
https://www.nite.go.jp/jiko/chuikanki/specialnews/news084.html
・suumoジャーナル 江戸時代の暖房器具
https://suumo.jp/journal/2015/10/26/99367/#:~:text=%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9A%96%E6%88%BF%E5%99%A8%E5%85%B7,%E3%82%92%E5%87%BA%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82
・一勇斎国芳『つじうらをきく』,伊場久. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1309282
・一猛斎芳虎『隅田川雪見』,美の. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1307786

正月はインフルエンザに大当たり

皆さま、こんにちは。今月は出だしからインフルエンザにかかってしまいました。

年末の忘年会に参加して、3日目の大晦日の夜から何となく具合が悪くなり、熱を測ると38.5度。
人生初、元旦に病院へ行ってきました。

新聞で年末年始の当番医を探し、事前に電話したところ、もしインフルエンザなら今は吸入用の薬しか在庫がない、飲み薬がいいなら隣の海南市の調剤薬局にある、とのことでした。

タミフル等インフルエンザ治療薬が不足していて、一部供給を一時停止しているというのは、テレビや新聞等を見て知っていました。

が、その他の薬についてはよく知らず、その時は吸入タイプの薬?と言われてもピンときませんでした。

人生初、元旦に病院へ

早速、車で5分もかからない紀美野町内の病院へ行ってきました。数名の患者さんがいらっしゃいましたが、それほど待たず検査へ。

5分後、インフルエンザと診断されました。11月にインフルエンザ予防接種をしたのですが・・・。

それから車で15分程の所にある海南市の調剤薬局へ行き、飲み薬を貰ってきました。ゾルフールという薬でした。

その後、新聞でインフルエンザ治療薬がいろいろあると知りました。吸入用の薬はイナビル、一時供給を停止していたのはタミフルの後発薬(ジェネリック医薬品)でした。

薬が効いたのか、翌日には37度近くまで熱が下がり、3日後にはほぼ元通り元気になりました。

具合が悪かったのは病院に行く前日の大晦日の夜、元旦、二日ぐらいでした。幸い母にもうつらず良かったです。

インフルエンザは潜伏期間が1~3日と短いのが特長だと聞いてはいましたが、実際インフルエンザになってみてよくわかりました。

29日 忘年会に参加
30日 忘年会に参加した友人からインフルエンザにかかったと連絡あり
31日 夜から発熱(38.5度)
1日 病院でインフルエンザと診断される、薬(ゾルフール)を飲む
2日 熱が37度まで下がる
3日 食欲が戻る
4日 ほぼ元どおり元気になる

検査にもタイミングがあった

今回、インフルエンザの検査にはタイミングがあると知りました。症状が出始めてから12時間~48時間以内が検査のタイミングだそうです。

ウイルスが検査に必要な量まで増えるのに12時間程かかり、48時間以降はウイルス排出量が減るため、陰性となる可能性があるそうです。

また抗インフルエンザ薬は、症状が出始めてから48時間以内に飲むと効果を発揮するそうです。

私は大晦日の夜に熱がでて、元旦に病院で検査しました。12時間経っていましたから、検査のタイミングも薬を飲むタイミングも、ちょうどよかったようです。

インフルエンザは辛い・・・

私の場合病院での検査も、薬の受取りも、治りも、全てスムーズでしたが、ある友人は、病院へ行って診察前の検査だけで3時間もかかったそうです。具合の悪い時に、本当に気の毒です。

私は運転して病院と薬局へ行くことができましたが、熱が出て具合が悪くて病院にも行けず、寝込んだ人もたくさんいると思います。

東京近郊にいる友人の話ですが、ご主人が突然頭痛と悪寒がして、風邪だと思い病院に行ったところ、検温して熱がないからインフルエンザではないだろうと診断され、風邪薬を貰って帰宅。

翌日には友人の具合が悪くなり(うつった)、熱を測ると39度。そのうちご主人も熱がでて、二人で数日寝込んだそうです。3日もお風呂に入れなかったと言っていました。

風邪の症状で熱がある場合、都会では発熱外来に予約してから行くようになってるそうですが、熱がでて具合が悪くなると、予約したり病院へ行くことは実際難しい、と言っていました。

特効薬はない

風邪もインフルエンザもコロナも初期症状はほぼ同じように思います。インフルエンザの場合、抗インフルエンザ薬でウイルスを抑えることはできるようですが、どれもすぐに治る薬はないようです。

昔から風邪を治す薬はないと言われてきましたが、それで症状を緩和する対症療法がとられているわけですね。

昔から風邪予防には番茶や塩水でうがい、風邪をひくと頭を冷やして水分補給、卵酒、生姜湯、甘酒、みかん等取り入れてきました。

病院に行けずに寝込んだ友人も、最初だけ解熱剤を飲み、頭を冷やして、生姜湯やスポーツドリンクを飲んで水分補給し、1週間後には元気になったそうです。体が自力で治していると思います。

お雑煮の残りでおじや

さて、元旦は野上八幡宮への初詣が病院に、おせち料理がお雑煮の残りで作ったおじやになりました。

我が家は普段さらさらの茶粥を食べていますが、病気の時は白かいさんかおじやです。

我が家のお雑煮は、青身大根、里芋、金時人参、油揚げ、丸餅をいれ、普通の味噌に白味噌を合わせます。

青身大根(あおみだいこん)は和歌山の伝統野菜で、キュウリよりひとまわりの大きさの細い大根です。主に正月の雑煮用として使われ、年末になるとこの辺りでは店に並びます。

関西エリアで使われているようで、祝い大根、雑煮大根とも言うそうです。

野上八幡宮 えびす様へお参り

さて毎年お正月には、商売繁盛を願って、地元野上八幡宮のえびす様へお参りに行きます。

野上八幡宮は、応神天皇、神功皇后、玉依姫命を祀った由緒ある神社です。朱塗の鮮やかな本殿や入母屋造りの拝殿などは、国の重要文化財に指定されています。


私のインフルエンザのせいで延期になっていましたが、11日に役員3人でお参りにいってきました。まずは野上八幡様の拝殿前でお参り。

野上八幡様にお参り後、忠魂碑(ちゅうこんひ)の横の階段を上って恵比寿神社にお参りしました。左がえびす神社、右側に祇園神社が並んでいます。

えびす様は、漁業の神、商売繁盛の神、五穀豊穣の神として有名な「七福神」のお一人です。
右手に釣り竿、左手に鯛を抱えています。

全国のえびす様を祀ってる神社では、毎年1月9日・10日・11日の3日間「恵比須祭」を開催しています。

「十日戎(とおかえびす)」、「えべっさん」とも言います。関西、西日本では親しみのある十日戎(とおかえびす)です。

野上八幡宮も、毎年1月9日・10日・11日の3日間は商売繁盛を願って、多くの参拝客が訪れます。

9日は宵戎(よいえびす)、10日が本戎(ほんえびす)、11日が残戎(のこりえびす)。ちょうど残りえびすの日でした。

縁起物に、笹、箕(み)・熊手があり、漁業の神「えびす様」と農業の神「大黒天様」がセットになっている熊手を買いました。

毎年縁起物を買った後にのし飴を頂いています。のし飴は紅と白でできた棒状の福飴で、ねじった形の棒状は延命飴とも呼ばれており、長寿の意味が込められているそうです。

えびす様と言えば

さて、えびす様を祀る神社は、日本全国に3500ほどあるそうです。その中で日本三大えびす神社とされているのが、西宮神社(兵庫県)、今宮戎神社(大阪府)、京都ゑびす神社(京都府)です。

中でも西宮神社はえびす神社の総本社。毎年テレビのニュースで報道される「福男選び」で有名です。

また、毎年「招福まぐろ」を拝殿に飾り、商売繁盛を願って参拝客がまぐろにお賽銭を貼り付けることでも知られています。

なぜまぐろなのか?調べてみました。

なぜマグロ?

西宮神社のホームページによると、昭和44年当初、神戸市東部水産物卸売協同組合などが中心となり、大漁と商売繁盛を願って魚の奉納を計画。

翌年の昭和45年から、大ぶりで形のよい本マグロ、雄雌二尾の大ダイ、を奉納しているそうです。

参拝者に見て貰うために日本人好みの大きな魚として鮪と鯛、になったそうです。まぐろだけじゃなかったんですね。

まぐろにお賽銭を貼り付ける風習についても調べてみました。

神戸新聞の記事によると、マグロが大きすぎて本殿に置けず、参拝客の手の届く拝殿に備えられたところ、いつからか参拝客がお賽銭のつもりでマグロにお賽銭を置くようになったそうです。

凍ったマグロにお賽銭を乗せても落ちないことから、お金が身につくという縁起物になっているようです。

本年も漁業にたずさわる皆さんの安全と豊漁を願って、合羽をつくります。

(参考資料)
・大正製薬 かぜお役立ちコラム 普通のかぜとインフルエンザ、新型コロナはどう違うの?
https://brand.taisho.co.jp/pabron/kaze-ken/kaze-tigai/
・ウェザーニュース 
西日本では常識?商売繁盛を願う”十日戎”とは
https://weathernews.jp/s/topics/201901/080065/
・西宮神社 年中行事・祭典
https://nishinomiya-ebisu.com/event/event01.html
・神戸新聞NEXT 
十日えびす、何で大マグロに硬貨を張るの? 参拝客が始め、関西一円へ
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202001/0013018236.shtml

新年のご挨拶

謹んで新年のお慶びを申し上げます。
昨年中は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。

今年は、会社設立50年となります。
ひとえに皆様の変わらぬご支援とご厚情に、深く感謝申し上げます。

社員一同心一つに、より良い製品づくりに全力で取り組んで参りたいと思います。

本年も変わらずご指導お引き立てのほど、お願い申し上げます。

皆様にとりましてより佳き年でありますよう、ご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

 

株式会社 久保製作所
代表取締役社長 
久保真由巳

そばの繋ぎ

皆さま、こんにちは。早いもので今年も残すところあとわずかとなりました。
日本にはいろんな年越しそばがあります。そばひとつとってみても十割そばに二八そば、そば殻入りの黒ぽい田舎そばに白っぽい更科そば、と様々です。

そばも様々

先日、十割そばを頂いて食べました。十割というとどんなにボソボソかと思いきや、香りも食感もよく、とても美味しかったです。

繋ぎを使わない粘り気のない十割そばの製造には、高度な技術がいるそうです。

そばの実を石臼で丁寧に挽き、水を加えて延していくそうです。この工程を何度も繰り返すことによってボソボソしない、切れない、十割そばができるそうです。

もちろん今は機械打ちですが、目指すところは手打ちそばの食感だと思います。

さて、二八そばは蕎麦粉8割に小麦粉2割を加えて混ぜられた内二(うちに)のそば。

繋ぎには小麦粉や自然薯が使われることが多いですが、豪雪地帯として知られる新潟の魚沼地方の十日町や小千谷では布海苔(ふのり)が使われ、「へぎそば」として知られています。

剥ぎ板で作った四角い器をへぎといい、へぎにそばを盛り付けて食べられていたのが名前の由来です。

小千谷や十日町は江戸時代から続く織物の一大産地。織物に使う糸ののり付けや洗い張りに使われたのが布海苔だったそうです。

布海苔は北前船で北海道や東北から新潟湊へ持ち込まれ、信濃川の登り船で内陸の十日町や小千谷に運ばれてきたとされています。

かつては山ごぼうの葉や自然薯を繋ぎに使っていたのが、身近にあった布海苔を使うようになり、独自の「へぎそば」が誕生したそうです。

スタッフが新潟から繋ぎに布海苔を使ったそばを取寄せ、茹でてへぎの代わりにざるに盛り付けてみました。

へぎそばのように一口ずつ綺麗に盛り付けようとしたところ、かなり難しかったようです。弾力があり、つるっと喉ごしのよいそばだったそうです。

お取り寄せ 吉雪そば(新潟県小千谷市)

なお、薬味は魚沼地方ではわさびが採れなかったため、代わりにからしが使われたそうです。地元の店ではわさび・からし、どちらも提供しているようです。

わさびは新潟のような水の綺麗なところに自生すると思っていましたが、豪雪地帯は難しいのでしょうか。

なぜそばの繋ぎにしようと思ったのか

ところで、長野県飯山市にある「富倉そば」は、そば粉十割で、繋ぎにオヤマボクチというキク科の多年草植物の繊維を使うことで知られています。

調べたところオヤマボクチは山ごぼうのことでした。新潟の魚沼地方でも、布海苔を使う前までは山ごぼうの葉を使っていました。長野と新潟は隣。

山ごぼうの葉の繊維を繋ぎに使うのには大変な手間と時間がかかるそうです。

葉の繊維を柔らかくなるまで煮て、天日干しで乾燥させることを何度も繰り返し、1kgの葉から取れる繊維はわずか4~5gほどだそうです。

なぜそんなに手間のかかる山ごぼうの繊維をそばの繋ぎにしようと思ったのでしょうか。

オヤマボクチの写真をネット検索して見たところ、葉の裏に白い綿毛がびっしり生えており、その綿毛をそばの繋ぎにしようと思ったのかもしれません。

なぜ布海苔をそばに入れてみようと思ったのでしょうか。身近にあったからいっちょ入れてみるか、となったのかもしれません。

考えて見ると、世の中に誕生している様々なものは、全て身近にあったから使ってみた、のパターンが多いのかもしれませんね。

製品価格見直しについて

さて、先日郵便料金が上がりました。84円切手に慣れてきたと思ったら、また変わるとは残念です。

調べたところ、手紙もはがきも1994年から二十年、一度も値上げしてなかったことがわかりました。

手紙料金は2014年に2円上がり、2019年にまた2円上がり、そして今回2024年に26円上がりました。なぜ2円にしなかったのかと思いましたが。

さて、当社も製品供給の安定化を維持するために、製品価格の見直しを決断しました。

水産合羽は主材料の生地を含め、30以上ものパーツから成り立っています。

パーツは主材料の生地のように弊社がメーカーにオーダーした特注品を含め、それぞれメーカーから取り寄せています。

これらのパーツを工程順に職人が一つ一つ丁寧に手作業で溶着・縫製し、ウェアを製造しています。

主材料生地
副材料ミシン糸、ウエストゴム、袖口ゴム、脇ゴム、タフタ、水止めテープ、接着テープ、ファスナー、面ファスナー、肩つりバンド、ワンタッチバックル、3本線バックル、背カン、アイレット、ハトメ(フードひも通し)、カシメ、プラホック、フードひも、サイズネーム、製品名マーク、転写マーク、ワッペン、長靴
付属品黒平ゴム、赤平ゴム、補修布
補助材料包装袋、化粧箱、製品チラシ


2022年に価格改定をお願いし、弊社も合理化への努力に取り組んでまいりましたが、
主材料である生地代の値上げに苦慮し、自助努力のみでは如何ともし難くなりました。

つきましては、誠に不本意ではございますが、来年より価格改定をお願い申しあげたく存じます。

何卒諸事情ご賢察の上、ご理解とご了承賜りますようお願い申し上げます。

現在、価格高騰の影響を直接受けないように生地を入手する環境を模索中です。

丈夫で軽くて長持ちする久保の合羽がいい!とご指名頂けるよう、これからも努力いたします。

今年も一年お世話になり、ありがとうございました。どうぞよい年をお迎え下さい。

(参考資料)
・十割そば https://delishkitchen.tv/articles/2487

・織物由来の海藻をつなぎに のどごしよい「へぎそば」(ミツカン)
https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no76/09.html

・オヤマボクチ(日穀製粉株式会社)
https://www.nikkoku.co.jp/entertainment/glossary/post-59.php

・小千谷名物へぎそば -小千谷の魅力を発信-
https://youtu.be/p8sJrFYqqYw?si=4LqZ9lWETnD2_dgy

・富倉そば(温泉ぱらだいす信州)
https://nagano.onpara.jp/info/1206000145.aspx


冬期休業のお知らせ

お客様各位

平素より弊社製品をご利用頂き、ありがとうございます。

下記の期間を冬期休業とさせていただきます

休業期間中はご不便をお掛けいたしますが、
何卒ご了承下さいますようお願い申し上げます。

【休業期間】
2024年12月29日(日)~2025年1月5日(日)
※1月6日(月)より通常営業

暮らしとカレー

皆さま、こんにちは。今年は猛暑でみかんの色づきが遅れていましたが、急に冷え込みが進んで色づきました。

昨年より3週間ほど遅くなりましたが、和歌山のみかんをお送りできるようになりました。

今年は夏の猛暑や大雨により、全国的に野菜や果物に栽培の遅れ、病害虫被害など、例年よりできのよくない作物があるようです。

和歌山では柿が不作で、3割ほど数が少ないそうです。やっと今年初の富有柿を頂きましたが、例年の柿より若干甘みがなかったように思います。

不作とはいえ、あれほどの猛暑でよく育ったと思います。野菜・果物のたくましさと、農家さんの頑張りに感謝!

お家のカレーコスト高

先日東京近郊の友人に、今時はカレーを作っても材料費が二千円近くになる、西の方は牛肉を使うから大変だね、と言われました。

確かに我が家のカレーは昔から牛肉。豚肉を使ったことはないです。関東、東日本ではカレーのお肉に豚肉を使うことは知っていました。

私が豚肉を使う料理と言えば、焼きそば、お好み焼き、生姜焼き、豚汁。肉じゃがには牛肉です。

友人によると、東京近郊で牛肉を使ってカレーを作るのは、だいたいが西日本出身の人だそうです。

いくら東日本が豚肉文化とは言え、焼肉やレトルト・外食のビーフカレーを食べますよね。お家のカレーに牛肉は合わない、と思っているわけではないと思います。

牛肉の価格が高いというのがあると思います。家賃から物の値段まで全部が高い関東では、庶民の味方、カレーのお肉にまで費用はかけられない・・・ということではないか?と私は思います。

カレーライスや肉じゃがのお肉もそうですが、いつからお肉と言えば東日本=豚肉、西日本=牛肉、になったのでしょうか。

いつからお肉と言えば東日本=豚肉、西日本=牛肉?

調べたところ、『チコちゃんに叱られる』という情報番組で放送される等、ネット上ではこのテーマがかなり話題になっていました。

複数の情報によると、歴史を見ると西は公家社会、東は武家社会、それぞれの暮らしを手伝う動物に由来していることがわかりました。

飛鳥時代から平安時代の都は西の奈良や京都で、公家社会。公家は農耕や移動に牛を利用していました。

その後の鎌倉時代から政治の中心は東の鎌倉や江戸で、武家社会。馬は武士の移動や戦に利用され、農業にも利用されていました。

牛が東日本に広まらなかったのは、川がある等、地理的に運ぶのが難しかったからのようです。

飛鳥時代から明治時代まで、日本は仏教の影響で肉食が禁忌されるようになっていましたが、山間部では貴重な食料として、江戸の町では肉を使った鍋料理屋があったようです。

江戸時代末期に開国後、肉を食べる文化が入って一般に広まりました。

横浜に牛鍋屋が開店。福沢諭吉が牛肉は滋養によいと言ったこともあって牛鍋が流行したそうです。

豚の登場

明治以降、日清・日露戦争で軍の食料に牛肉の缶詰が採用され、東日本の牛肉が品薄に。

馬肉は量が取れず肉質が固いことから、食用になり難かったようです。軍が移動に使っていた、というのもあったと思います。

代わりに豚が飼育されるようになりました。

豚肉の起源は中国から琉球(現 沖縄)に、江戸時代に琉球から薩摩藩へ伝わったとされています。

雑食性で都市部の残飯を食べ、飼育期間が六ヶ月で繁殖力もある豚は、終戦後も東日本に広まりました。

ポークカツレツ、カツ丼、カツカレーなどの豚を使った料理が誕生しました。

牛の文化が定着している西日本には、豚の入り込む余地がなかなかなかったそうです。

戦争時、東日本に首都があったことから、豚肉文化が広まったと言えます。

カレーライス物価指数

さて、お家カレーのコストの話に戻ります。

お米の値上げにはじまり、カレーに欠かせないじゃがいも・玉ねぎ・にんじん等、普段使いの野菜もこれまでより値段が上がっていると思います。

調べたところ、カレーライス1食当たりのトータルコストを表わす「カレーライス物価指数」という指標がありました。

帝国データバンクの調査によると、米の価格高騰が影響して、お家で作るカレーのコストは一食あたり364円(2024年9月現在)と、過去最高になったとのことです。

カレーライス物価を構成する費用 内訳 (2024年9月)(株式会社帝国データバンク)

カレーライスで使用する原材料や、調理にかかる水道光熱費などを独自に試算した指標ですが、具材はにんじん・じゃがいも・玉ねぎ・牛肉(輸入)・米で計算されていました。

きのこ類などその他の具材、コショウやローリエなどのスパイスは含まれていません。これらを入れると若干上がりそうです。

我が家のカレーの材料は毎度同じです。
・ルウ ジャワカレー、インドカレー(インドカレーがなければバーモントカレー)
・牛すじ肉か牛切り落とし肉
・玉ねぎ
・人参
・じゃがいも
・なす、トマト(夏)

やっぱり、お米の値上げが庶民にはかなり痛手です。

我が家は長年、お米は近所のお米屋さんで買っていましたが、海外から来ている技能実習生の要望もあって、時々町内の農家さんからご近所価格で分けて貰っています。

お米屋さんで買った新潟産や茨城産など、米所で有名な産地のお米は猛暑の影響か、今年は粒が小さかったです。

手作りカレーとレトルトカレー

さて、家カレーの材料費のトータルコストが上がったことで、レトルトの方がいいという方もいるかもしれません。以前、レトルトが家カレーを上回ったという記事を見ましたが、最近の傾向はどうなっているのか。調べて見ました。

マイボイスコムが2022年8月に実施の「カレーに関するアンケート調査」によると、自宅で作ったカレーを食べる人が8割でした。

Q どのようなカレーを食べますか?(複数回答)

自宅で作ったカレー 79%
レトルトカレー  56.7%
外食 25.6%

マイボイスコム『カレー』に関するインターネット調査
【回答者数】10,189名 2022年8月1日~5日

ぐるっぱが2024年9月に実施の「カレー」についてのアンケート調査によると、ルウがレトルトを上回っていました。

Q ルウ?レトルト?どっち派?

ルウ   63.1%
レトルト 26.8%

ぐるっぱ『カレー』に関するアンケート調査
【回答者数】1,588名 2024年8月26日~9月1日

いろんなレトルトカレーが出回っている中、お家でカレーを作っている人が多いことがわかりました。

レトルトカレーいろいろ

さて、皆さんはレトルトカレーと言えば何が好きですか?我が家は昭和の頃からボンカレーです。
今はリッチなカレーからご当地カレーまで、様々なレトルトカレーがお店に並んでいますね。

家庭では作れないような本格カレーや珍しいカレーを味わえることから、ご褒美として買う人も多く、高価格でも人気のようです。

そんな中でも、昭和の頃に生まれたレトルトカレーはしっかりとお店に並んでいます。

世の中が変わらない味を求めていることがわかります。

世界最長寿商品ボンカレーは発売から56年目になるそうです。

たまに近くのローソンさんで無印良品さんのレトルトカレーや日清さんのカレーメシを買うこともあります。

手軽に食べることができて、なかなか美味しいです。

和歌山のレトルトカレー

さて、和歌山の有名なレトルトカレーをご紹介します。

欧風ビーフカレー・熊野牛カレー (島精機製作所さん)
和歌山が誇る世界一のニット編み機メーカー島精機製作所さん(飲食事業部門)の、知る人ぞ知る、本格欧風ビーフカレーです。

弊社が島精機製作所さんの機械を使用している関係で、お土産にレトルトカレーを頂いたのがきっかけでした。コクがあってスパイスが香るカレーです。

また食べたくなって、和歌山市内にあるお店にも行ってきました。ビーフカレー(1,500円)。トッピングには福新漬け、らっきょう、ガラムマサラ、チャツネがあったと思います。

メニューに「熊野牛カレー」という和歌山県産熊野牛を使ったカレーがありました。お店で食べると二千三百円、レトルトカレー1袋千三百円もしますが、食べてみたいですね。

その他私は食べたことがないですが、和歌山産山椒を使った「山椒カレー」があります。和歌山は日本一の山椒の産地です。ピリッとした辛みがあって、なかなか美味しいそうです。

紀美野町のカレー屋さん

弊社から車で5分程度の所に海南市方面が一望できるふれあい公園があります。公園の中のふれあい館の中に入って居る、地元で評判のカレー屋さん『Kimino’s Cafe』さんに行ってきました。

お店はこじんまりしたエスニック風のインテリアのお店でした。お昼時だったのでお店には結構お客さんが入っていました。


私は欧風ビーフカレーを頂きました。コクがあってスパイシーで美味しかったです。
ご飯は本場の固めのライスかと思ったら、普通の日本のライスでした。

トッピングコーナーがあり、2種類トッピング。
一つはアーモンドチップだと思ってトッピングしたところ、食べるとガーリックチップでした(笑)

もう一つは鰹の佃煮。カレーに鰹の佃煮?と思いましたが。醬油ベースにピリッとした辛みがあり、白いご飯にのせて食べると美味しかったです。

11月下旬は鳥取、九州・四国へ出張等でバタバタでした。
たまには休みの日に来て、ゆっくりとチャイを飲みたいと思います。

(参考)
お肉と言えばなんで西日本は牛肉で東日本は豚肉なの?
https://チコちゃんに叱られる.com/10974.html

日本経済新聞 2017年2月17日 5:40
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO12714730Z00C17A2W02001/

雑学ネタ帳 https://zatsuneta.com/archives/007080.html

日本食文化の醬油を知る
http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/edo-reference16d.html

カレー物価指数(2024年9月)帝国データバンク
https://www.tdb.co.jp/report/economic/ddoc33oej/

プレスリリース【カレーに関する調査】マイボイスコム 2022年9月
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001231.000007815.html