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秋祭りとなれずし

皆さま、こんにちは。和歌山ではみかんの収穫がはじまりました。早生みかんはところどころまだ青いですが、置いておくと橙色になります。早生みかんは若干酸味がありますが、体を動かして汗をかいた後、水分がわりに食べています。さっぱりして美味しいです。

野上神社 秋祭り

10月半ば、近所の野上八幡宮秋祭り(例大祭)に行ってきました。

「例大祭」は、1年の無事や五穀豊穣などを神様に感謝する、神社にとって重要な日に毎年行なわれる祭りです。

当日は、午前中に本殿祭が行なわれ、午後から獅子舞、稚児わたり、子供みこし、みこし渡御と、本殿から街中の御旅所(おたびしょ)へ神輿が渡りました。

稚児渡りは神輿の付き添いです。七五三など年齢は関係ないそうです。

御旅所(おたびしょ)とは、神社の祭礼において神(一般には身体をのせた神輿)が、巡行の途中で休憩または宿泊する場所です。

神輿渡りの際、お先祓いとして、梅のずわいの枝・御幣・金幣・やり・なぎなた・弓・矢・榊・大矛・小矛・水・餅・酒・魚・鳥が通ります。


御旅所では祈願・獅子舞があり、鳥と魚は御旅所で放され、神輿一行は本殿に戻りました。

獅子舞

獅子舞は神輿の通る道をお祓いする役目を担っています。昔は獅子舞の他に、相撲や馬掛け競争などが行なわれたという話も聞いたことがあります。

昔から我が家では獅子に頭を噛まれると頭痛が治ると言われ、今年も獅子に頭を噛んで貰いました。

獅子が頭を噛むことで、その人についた邪気を食べることで邪気を払い、健康に過ごすことができると言われています。神輿の下をくぐるところもあるそうです。

語呂合わせで、「獅子が噛みつくと神が付く」という縁起かつぎの意味もあるそうです

獅子と一緒にいるのは天狗。昔は赤鬼・青鬼でした。天狗が獅子を抑えているように見えます。獅子は道をお祓いしたり邪気を食べたりしているのに変ですね。

中華街では催事のあるたびに音で爆竹が鳴って中国獅子舞が行なわれていますが、そこでも同じように獅子が頭を噛む、というパフォーマンスがあります。

獅子に頭を噛んでもらうと、獅子が悪いものを食べて厄を祓った、頭を咬まれたけど無事だった、ということから開運厄除・無病息災・健康長寿のご利益があると言われているようです。

普通に考えると、獅子に頭を噛まれると頭が痛くなると思いますが(笑)それがどうして頭痛が治る、と逆になるのか。不思議ですね。

獅子舞の起源

日本に入ってきた獅子舞は、インドが起源とされています。インドで仏教と強く結びついた獅子が、シルクロードを経て中国に伝わり、舞に取り入れられたそうです。

インドから中国に伝わった獅子舞が、日本の奈良に伝わったとされています。6世紀半ば、大陸から仏教伝来したのとほぼ同じ時期のようです。

その後、東大寺大仏の開眼供養の行事で獅子舞が披露。

室町時代には、今の獅子舞の原型となる芸能が生まれました。お伊勢参りを広める神楽師が、日本各地でお札を配る際、厄払いの獅子舞や曲芸の神事芸能を披露したそうです。

お伊勢参りと言えば、テレビの時代劇で、江戸の庶民にお伊勢参りツアーを募って添乗員として一緒に旅し、途中の宿場町で庶民からお金を巻き上げて雲隠れする悪者の話を何度か見たことがあります。

江戸時代にはお伊勢参りに参拝する人が増え、年間400万以上が参拝した記録も残っているそうですから、旅人の路銀を狙った犯罪やトラブルも多かったのかもしれませんね。

どこへでも自由に旅ができる現在と違った江戸時代、寺社への参詣や湯治の場合は、通行手形の制限か緩和されたことから、人々はこぞって伊勢や京都・奈良へ旅をしたようです。

狛犬と獅子

神社の狛犬さん、と言っていましたが、正確には獅子と狛犬でした。

向かって右側の口を開けているのは獅子(阿形 あぎょう)、左に配置される口を閉じた狛犬(吽形 うんぎょう)、と対になっています。角があるのが狛犬です。

この組合わせは平安時代のはじめからで、奈良時代までは獅子2頭だったとされています。

野上神社の狛犬と獅子は本殿脇にいましたが、珍しい水玉柄でした。

また、御旅所エリアにも石の狛犬と獅子がいました。

秋祭りとなれ寿司

さて、秋祭りと言えば「なれ寿司」。なれ寿司とは、鯖などの魚を保存するために米飯の発酵作用を利用した保存食で、和歌山の郷土料理です。

塩鯖と手ごねの塩ごはんをアセの葉で包んで桶にびっしりと詰め、自然発酵したものです。アセの葉で包むことからアセ寿司とも言います。アセとは、暖竹というイネ科の植物の葉です。

和歌山市や紀美野町あたりではサバを使いますが、紀南の方ではサンマや鮎を使います。包む葉も、芭蕉の葉、竹の皮を使うこともあるようで、地域によって味付けや発酵期間も様々ななれ寿司があります。

なれ寿司の起源は、奈良時代に東南アジアから日本に伝わったとされています。鮎や鮒等の川魚を保存するために、魚を塩漬けしてからご飯に漬けるという、米飯の発酵作用を利用した方法です。

桶の中で魚を塩とご飯が熟成・発酵し、酸味と旨味が生まれます。

当時、ご飯は魚を漬けるぬか床の扱いでしたが、その後、魚と一緒に寿司として食べるようになったとのことです。これが押し寿司や箱寿司の原型とされています。

酢を使った寿司が作られるようになったのは、江戸時代になってからです。

早なれ寿司と本なれ寿司

以前も本ブログでご紹介したことがありますが、ここでもご紹介しますね。

和歌山のなれ寿司には「早なれ寿司」と「本なれ寿司」があります。一般に「なれ寿司」と言うと、「本なれ寿司」のことです。

「なれ寿司」は発酵による独特の臭いがあり、大人向けです。

酢を使わず塩鯖とご飯を自然発酵させた「本なれ寿司」に対し、お酢を使って発酵期間を短くして早く作れるのが「早なれ寿司」(早すし、ささ寿司)です。

我が家では、「早なれ寿司」のことを「アセ寿司」と言い、時々買っては食べています。アセの葉は3枚使用されています。横に1枚、縦に2枚です。

今はスーパーで買えますが、昔はお祭りの頃になると、なれ寿司(本なれ寿司)を作る家庭もありました。

和歌山ではおにぎり等ごはんを握ったものを「にんにこ」を言います。私は外ではおにぎりと言いますが、家で母と話をする時には「にんにこ」と言います。

和歌山はラーメンも有名ですが、ラーメン屋さんには「早なれ寿司」が置いてあります。

一般にはラーメン&ライスのところ、和歌山ではラーメン&早なれ寿司の場合が多いです。

なぜラーメン屋さんに寿司が置いてあるのか、東京の友人にもきかれたことがあります。

こってり味のラーメンには、さっぱりしたお寿司があうから?と思っていました。

調べたところ、はっきりしたことはわからず・・・。戦後、うどんやさんが昆布や鰹節の不足から中華そば屋に鞍替えしたが、戦前から店に仕入れていた早なれ寿司だけは変わらず置き続けたから、という掲示板のコメントを見ました。

関西の発酵寿司と江戸前寿司

さて、江戸前寿司とは、東京湾(江戸湾)で獲れた魚で作ったにぎり寿司のこと。冷蔵庫もない時代、保存のために、酢や塩で締めたり、煮たり、タレに漬るなど工夫していました。

漬けマグロ、酢でしめた鯖やコハダ、甘辛く味付けした煮穴子などです。

以前ブログに書きましたが、江戸時代、脂が多く、傷みやすいマグロは下のランクの魚として扱われ、魚好きの猫もまたいで通るとまで言われていました。

それが変化したのは、和歌山出身の吉宗公の倹約令。ちょうどその頃、和歌山発祥の醬油製造の技術が進み、江戸の寿司職人がマグロの漬けを考案。

醬油によってマグロを保存し、旨味も熟成され、江戸の人々は下魚として嫌煙されていた鮪を食べるようになったそうです。

一方、関西の寿司は「なれ寿司」などの発酵寿司です。平安時代から寿司の原型となる調理法があったそうです。保存上シャリは砂糖が多く、甘みが強いです。

鯖、アジ、サンマ、アナゴ、エビ、干ししいたけ、卵などを使い、木型に魚と寿司飯を入れて作る「押し寿司」・「箱寿司」・「棒寿司」などがあります。

和歌山の寿司

めはり寿司

和歌山県南部の熊野地方の郷土料理で、塩漬けした高菜で包んだ大きなおにぎりです。

平地の少ない県南部地方の山間部では、日当たりが悪くても栽培できるとして高菜がさかんに栽培され、めはり寿司は昔から林業や漁業の弁当として親しまれてきました。

中身は白いご飯を使いますが、すし飯を使うこともあるようです。

小鯛雀寿司

和歌山市加太(かだ)の小鯛(チャリコ)で酢飯を包んだお寿司です。尾が雀の尻尾に見えるというのが名前の由来です。明治に鉄道の食堂や車内販売から広まり、120年以上も地元和歌山で親しまれている駅弁です。

柿の葉寿司

「柿の葉すし」は、寿飯に鯖や鮭などの具材をのせて柿の葉で包み、重石をして一晩おいた押し寿司です。江戸時代に生まれたといわれています。

寿司の保存性を高めるために、抗菌・抗酸化作用を持つ柿の葉が使われました。和歌山の紀の川流域は柿の産地です。

現は柿の葉すしを扱うお店がたくさんありますが、昔はいつでも自宅で寿司が作れるように、柿の葉を塩漬けにして保存したそうです。

具材は鯖、サンマ、エビの甘辛煮、しいたけ、かまぼこ、油揚げ、卵などを使います。最近ではサケや鯛や熊野牛など、様々な柿の葉寿司が生まれています。

食品加工の現場を応援します

さて、伝統の発酵寿司「本なれずし」を作るには、鯖などの新鮮な魚をおろし、1ヶ月以上塩漬けにしてねかせ、塩漬けした魚を米飯と合わせ、アセの葉などで包んで寝かせて発酵・・・。

これら一通りの作業は、汚れと臭いとの闘いになることが想像できます。

ホームページには掲載していませんが、当社は水産など食品加工用のエプロンも受注生産しています。マヨネーズで有名な食品メーカーさんの加工用エプロンも造らせて頂きました。

生地は水産合羽の生地(素材・色)と同じで、丈夫で耐寒・耐油仕様です。

また、食品加工現場では、胸付きズボンや長靴付き合羽もご利用頂いています。お気軽にご相談下さい。

シーピープル 胸付きズボン(ライムイエロー) S3MZ-LY

ピアオーシャン 胸付きズボン(ブルーオリヤン) S5MZ-BO

エミック 胸付ズボン(長靴付き)S2MZ-OL

(参考)
柿の葉寿司 和歌山県 うちの郷土料理
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/kakinoha_zushi_wakayama.html
狛犬 京都国立博物館

https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/home/dictio/choukoku/komainu/
獅子舞 和楽  https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/108185/
中国獅子舞 横浜中華街  https://www.chinatown.or.jp/feature/shishimai/
ふるさとの味「なれずし」 湯浅さんぽ  https://www.yuasa-kankokyokai.com/article/4906/
ロカル和歌山  https://rokaru.jp/news/22048/
東京すしアカデミー  
https://www.sushiacademy.co.jp/archives/c351

「天ぷら」と「さつま揚げ」

皆さま、こんにちは。先日、お客様から岩手の大船渡漁港に揚ったサンマを頂きました。我が家はサンマは初物でした。今年は大きなサンマで、脂がのってとても美味しかったです。

ここ数年サンマが不漁で、獲れても身が小さく、値段も高くなっていましたが、今年は近年まれにみる豊漁です。

9月に入って、北海道では1日千トンもの水揚げがあり、発泡スチロールや氷が不足、輸送などの処理が追いつかないとのニュースを見ました。

9月上旬、サンマ漁のさかんな漁港では、処理が追いつかないことや、漁獲目標を大きく上回っていることから、全国さんま棒受網漁協協同組合は48時間休漁措置をとりました。

銚子港では2022年ゼロ、2024年55トン・・・と、この4年間で計84トンしか獲れなかった所、たった1日で112トンのさんまが獲れ、4年間の合計量を上回ったとのことです。同じようにここ数年不漁だったイワシも豊漁です。

どうしてそんなことになるのか、不思議ですね。

メディア各社の情報によると、今年のサンマは大きなサイズのようです。先日スーパーで、「特大」シールが貼ってあるサンマが一匹500円台でした。

いくら特大サイズといっても、豊漁なのに随分高いと思いました。以前は普通サイズが2匹入って500円ぐらいだったと思いますが。

豊漁は何よりですが、サンマやイワシは足が早いのが特長。
有名なサンマ祭りなどでは、刺身で食べることのできる程新鮮な魚を扱っているそうですが、新鮮さを保つにはスピードとそれなりの扱いが必要になります。

スーパーでサンマやイワシのお刺身は滅多に扱ってないように思います。安くて美味しい魚は大体足が早いですね。

それでサンマは焼き魚か干物に。イワシは目刺しか、酢漬けや油漬けの缶詰や練り物になるのかと思います。

練り物

ご存知のとおり「練り物」とは、魚のすり身に塩や具材を加えて練り、加熱して固めた加工品の総称で、かまぼこ、揚げかまぼこ、ちくわ、つみれ、さつま揚げなどのこと。子供から大人まで幅広い年齢層に親しまれている食べ物のひとつです。

水産加工品の総称「練り物」は、加工方法と地域によっていろんな呼び方があり、この点が煩わしいところです。

例えば、西日本では、エビや野菜等の素材に衣つけて油で揚げる「天ぷら」の他に、練り物のことを「天ぷら」と言います。主に揚げかまぼこのことです。

東日本では「さつま揚げ」と言い、愛知・岐阜・北陸では「さつま揚げ」のことを「はんぺん」と言うそうです。

西日本出身で関東に長年住んでいる友人は、上京したての頃、おでんの練り物「天ぷら」のことを周りに話すたびに、「天ぷら?」と不思議そうな顔をされ、スムーズにいかなかったそうです。

同じ単語で漢字が同じで意味が違うとなると、日本人同士でも話が通じないこともある、と言っていました。日本語は難しいですね。

練り物 呼び方いろいろ

西日本では「天ぷら」、北海道以外の東日本では「さつま揚げ」、と言われる練り物(主に揚げかまぼこ)ですが、他の呼び方もあります。

さつま揚げ

天ぷら(西日本・北海道)

飛竜頭(ひりょうず) 豆腐と魚のすり身をベースに野菜等を混ぜて揚げたもの

はんぺん(愛知・岐阜・北陸) さつま揚げのこと

あげはん(広島)

つけ揚げ(鹿児島)

チキアギ(沖縄)

天ぷらの種類

さて、〇〇天と名の付く天ぷらはいくつかあります。和歌山のスーパーには「さつま揚げ」という名前では売ってないです。「平天」か「ほね天」です。

東京の友人に話したところ、びっくりして、近所のスーパーで買ったという「さつま揚げ」の写真を送ってくれました。

平天 魚のすり身をベースに平らに近い形の天ぷら。大体3枚入りの袋で売っています。

丸天 平らで丸い形の天ぷら。博多のうどんには丸天がのっています。

長天 長細い形の天ぷら。讃岐うどんには長天が入っています。

ほね天 タチウオを丸ごと使った天ぷら。和歌山県有田市の特産品。

ごぼう天 棒状にしたごぼうを芯にして魚のすり身で巻いた天ぷらで「ごぼ天」とも言う。

ささ天  ささがきごぼうを使った天ぷら。

じゃこ天 いろんな種類の魚(雑魚)を丸ごと使った天ぷら。愛媛県八幡浜市や宇和島市の特産品。

薩摩では「さつま揚げ」とは言わない

さつま揚げの本場、鹿児島では「つけ揚げ」と言います。

江戸時代、中国から伝わったとされる琉球の揚げかまぼこ「チキアーギ」が薩摩に伝わって独自の料理になり、「チキアーギ」がなまって「つけ揚げ」になったと言われています。

沖縄では現在も「チキアーギ」・「チキアギ」と言うようです。

なぜ薩摩の「つけ揚げ」が、江戸では「さつま揚げ」と言うようになったのか。

調べたところ、江戸では「薩摩のつけ揚げ」として広まり、それが省略され「さつま揚げ」と言われるようになったとのことです。

「つけ揚げ」は、多めの砂糖と、灰地酒(あくもちざけ)という薩摩の甘い地酒を使い、甘口なのが特長。保存用に考えられたそうです。

飛竜頭(ひりょうず)=がんもどき 

さて、練り物と同じおでんの具にがんもどきがあります。飛竜頭(ひりょうず)とがんもどきは同じもの、とされています。「がんもどき」のことを西日本では「飛竜頭(ひりょうず)」、地域によって「ひろうす」「ひりゅうず」と言われているようです。

「がんもどき」は精進料理発祥のおかずとして知られています。基本、魚のすり身が入っておらず、豆腐と野菜等の具材を揚げたものです。

スーパーでは練り物コーナーではなく、豆腐コーナーに置いてあります。

がんもどきの材料である豆腐、こんにゃく、湯葉なども精進料理として重宝され、江戸時代の末頃には、こんにゃくを油で炒めたものを「がんもどき」と呼んだそうです。

元は豆腐ではなく、凍みこんにゃくで作られ、弾力があって雁の肉に似ているとの記述があるそうです。凍みこんにゃくとは、乾燥こんにゃくのこと。

いつ、凍みこんにゃくが豆腐に変わったかはわからないようです。がんもどきの材料のひとつだったようですから、保存できる凍みこんにゃくの方が手に入りやすかったのではないでしょうか。

「飛竜頭(ひりゅうず)」は「がんもどき」と同じ精進料理発祥でしたが、現在は、地域によって、主体の豆腐に魚のすり身、山芋、卵、野菜等の具を混ぜて丸めて揚げたものもあることから、練り物として扱われているようです。

和歌山のご当地練り物

さて、練り物は原料となる獲れる魚によって、日本各地に様々な種類があります。和歌山には、地元の新鮮な魚を使った特産品の練り物があります。

ほねく・ほね天 (和歌山県有田市)

和歌山県有田市の箕島漁港が面する紀伊水道は、大阪湾からの海水と黒潮がぶつかる好漁場で、太刀魚(タチウオ)が獲れます。

タチウオは白身の魚で、脂がのっています。刺身は鯛と同じぐらい美味しいですが、足が早い魚で、天ぷら・塩焼き・煮付け・ムニエルなどで頂くことが多いです。和洋中、どの料理にも合います。

小骨が多いタチウオですが、骨ごとすりつぶしたすり身で作った練り物が「ほねく」です。「ほね天」の名前でも親しまれています。

時々スーパーで見かけて買っては、トースターで焼いて、醬油をつけて食べます。

中身はこんな感じです。昔は薄くて丸が大きかったですが、最近はひとまわり小さくなり少し厚味がでたように思います。

なんば焼き (和歌山県田辺市)

なんば焼きは、エソやグチという白身の魚が原料の焼き抜きかまぼこです。江戸時代の頃より城下町田辺で作られています。

たな梅さん なんば焼き(小) 842円(税込み)

みかん船、和歌山の風景が描かれた箱に入っています。見た目ははんぺんのようですが、身はしっかりして弾力と粘りがあります。食感は板蒲鉾に近いですが、すり身は板につけず、鍋で焼いたものです。

そのまま食べても、醬油をつけても美味しいです。練り物にしては日持ちがします。

昔は紀南の方にしか売っていなかったため、白浜へ行った方からお土産に頂きました。最近は近所のスーパーでも見るようになりました。

牛蒡(ごぼう)巻き (和歌山県田辺市)

牛蒡(ごぼう)巻きは、エソやグチという白身の魚が原料の焼きかまぼこです。柔らかく茹でたごぼうに魚のすり身をつけて棒状にし、魚の皮を巻いて焼き、タレに漬け込んだものです。

1㎝ぐらいの幅に切って食べます。甘辛い味付けです。どちらかと言えばお酒のおつまみにあうような大人の味です。

たな梅さん ごぼう巻き 1058円(税込み)

なんば焼きは江戸時代、藩主が江戸への土産として、日持ちのする魚の加工品を、との要望で、作られたそうです。

殿様からのオーダーでは、さぞご苦労があったことと思います。

当時の努力の甲斐あって、現在、なんば焼きは日持ちのする練り物として知られています。

一度にたくさん魚が獲れても、保存が難しいのは今も昔も同じですね。

(参考)
・日本かまぼこ協会
https://www.nikkama.jp/info/%E3%80%8C%E6%8F%9A%E3%81%92%E3%81%8B%E3%81%BE%E3%81%BC%E3%81%93%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%91%BC%E3%81%B3%E5%90%8D%E3%81%A7%E5%85%A8%E5%9B%BD%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8A/#:~:text=%E6%97%A9%E9%80%9F%E3%80%81%E8%AA%BF%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B%E3%81%A8,%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AE%E5%91%BC%E3%81%B3%E5%90%8D%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
・東京おでんだね https://odendane.com/oden-naming/
・たな梅 https://www.tanaume.jp/
・上野屋蒲鉾店 https://e-sutokama.com/kamaboko-type
・うちの郷土料理 じゃこ天
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/jakoten_ehime.html#:~:text=%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%83%BB%E7%94%B1%E6%9D%A5%E3%83%BB%E9%96%A2%E9%80%A3%E8%A1%8C%E4%BA%8B,%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82
・うちの郷土料理 鹿児島 つけ揚げ 
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/tsukeage_kagoshima.html
・うちの郷土料理 茨城 凍みこんにゃく
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/shimikonnyaku_ibaraki.html
・和食スタイル 豆腐百珍 https://washoku-style.jp/archives/8393
・にっぽん伝統食図鑑
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/traditional-foods/bunrui/nerimono.html・
・紀文 練り物図鑑 
https://www.kibun.co.jp/knowledge/neri/basics/zukan/tsumire/index.html
・毎日新聞 毎日ことば 
https://salon.mainichi-kotoba.jp/archives/184459#:~:text=%E3%80%8A%E3%80%8C%E5%B9%B3%E3%82%89%E3%80%8D%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%AF%E3%80%8C%E5%B9%B3%E3%82%89,%E3%81%A8%E5%91%BC%E3%81%B6%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
・日本豆腐協会 
http://www.tofu-as.com/tofu/history/06.html
・ニッポン放送
https://news.1242.com/article/153470

群馬のからっ風とうどん文化

皆さま、こんにちは。猛暑といえば35度前後でしたが、最近では36~40度になっています。高熱で体温が38度を超えるととてもしんどいですが、40度を超えると意識がもうろうとするそうです。

それと同じ気温の中で日常生活を送っているとは、何と過酷でしょうか。

それなのに、夏バテもせず食欲も落ちず、頂いたうどんやそうめんを食べて、おかげさまで毎日元気です。

日本三大うどん

うどんと言えば、皆さんは日本の三大うどんをご存知でしょうか。日本全国にご当地うどんがあり、いろんな説がありますが、一般に知られているのが「讃岐うどん(香川県)」、「稲庭うどん(秋田)」、「水沢うどん」(群馬)」と言われています。

讃岐うどん以外は知らない、という方もいらっしゃると思います。私も水沢うどんは知らなかったです。うどんと言えば、名古屋の味噌煮込みうどんや伊勢うどん、山梨のほうとう等の方が有名だと思っていました。

群馬県内には「水沢うどん(渋川市伊香保)」の他、「ひもかわうどん(桐生うどん)(桐生市)」、「館林うどん(館林市)」があり、群馬三大うどんと言われています。

群馬のうどん文化

東京へは時々出張しますが、群馬へは行ったことがありません。関東はほぼそば文化だと思っていました。

調べたところ、群馬のうどん文化は、群馬独特の気候風土によってもたらされたと言っていいと思います。

関東の北西部に位置する群馬県は内陸性気候。年間を通して晴れの日が多く、日照時間が長い地域です。全国有数の暑い所として知られ、この夏も40℃を越えた地点の3都市が群馬県でした。伊勢崎市・桐生市・前橋市です。

冬には大陸から日本列島へ北西の季節風が吹き込みます。それが群馬・新潟県境の山にぶつかると、湿った空気が上昇気流となり、日本海側に大雪を降らせます。

東京から上越新幹線に乗って新潟へ出張していた友人の話によると、群馬側の高崎駅では雪も降っていないのに、高崎駅を出発して30分。トンネルを通って新潟の越後湯沢駅に着くと、いきなり大雪の景色なのが不思議だと言っていました。

群馬・新潟県境の谷川連峰は2千メートル程。それほど高い山でもないのに、日本有数の豪雪地帯として知られているのはそのようなことからです。

群馬名物「からっ風」

日本海側に大雪を降らせ、群馬や関東方面には乾いた冷たい強風が吹き下ろしてきます。特に、赤城山から南東部にかけての地域を中心に、冷たい強風「からっ風」が吹きます。

「からっ風」の吹く乾燥した気候、水はけのよい土壌は小麦作りに向いており、群馬では昔から小麦が作られていました。

小麦の産地である県内には、館林市に日清製粉創業の地として日清製粉ミュージーアム、前橋市には「サッポロ一番」で有名なサンヨー食品さんの本社工場、伊勢崎市には「ペヤング」で有名なまるか食品さんの本社工場などがあります。

水利の確保が難しかったこと、火山灰の土壌だったことから、米作りが難しい土地柄のようです。

江戸時代に用水路を作り、米づくりができるようになったそうです。現在は、秋に収穫された米の後に小麦を栽培する二毛作が行なわれています。

東京近郊に住む友人はスーパーで群馬のお米を見たことがないと言っていましたが、調べたところ米は二毛作に適した米を栽培しており、主に外食産業向けのようです。

現在、群馬県は都道府県別小麦の生産量は全国7位。

群馬三大うどん

さて、群馬の三大うどんについてご紹介します。

水沢うどん(渋川市伊香保)
水沢うどんは約1300年前に大陸から来て水沢寺を建てた僧によって伝えられたと言われています。水沢寺は温泉で有名な伊香保にあり、水沢寺の僧侶が、榛名山から湧き出る水でうどんを作り、湯治客や参拝客にふるまったのが始まりだそうです。

水沢寺の門前には10数件のうどん店が建ち並び、水沢うどん街道と言われています。

ひもかわうどん(桐生市)
「西の西陣、東の桐生」と言われる、1300年の歴史を持つ絹織物の産地。桐生うどん(ひもかわうどん)は織物産業とともに育まれました。昔からこの地域で食されている郷土料理です。麺が幅広のうどんです。

忙しい労働者に手軽で腹持ちのよい桐生うどん(ひもかわうどん)は重宝されたそうです。

館林うどん(館林市)
県南東部にある館林地域は良質の小麦の産地。日清製粉グループ創業の地として知られ、製粉ミュージーアムもあります。全国から富岡製糸場に織物の買い付けに来ていた商人への手土産として用いられたそうです。

機織りに携わる地元の人達は、昼にうどんを打って食べていたそうです。昔からこの地域で食されている郷土料理です。

群馬三大うどんを食べに行ってきました

スタッフが夏休みに群馬三大うどんの「水沢うどん」・「ひもかわうどん」・「館林うどん」のお店に行ってきました。群馬県内のうどん屋さんは営業時間が短く、ほとんどの店が昼前から14時か15時頃まで。

それぞれ場所が少し離れているので、「館林うどん」の食堂は間に合わなかったそうです。
スタッフのリポートを紹介します。

ひもかわうどん(桐生市) 清水屋さん

懐かしい昭和の小さな食堂のようなうどん屋さん。
幅が3.5㎝程度、厚みが5mm程度のうどん。冷やし「ひもかわもり」(600円)と、温かいうどん「ひもかわ」、両方注文しました。

冷やしうどん(ひもかわもり)は、くっついて食べにくい?!と思ったらそうでもなかったです。出汁(たぶん鰹)がよく効いてとても美味しかったです。

冷やしと幅広で厚味のあるうどんは、出汁にあまり絡まないのかと思いきや、そんなことはなく、弾力のある麺がしっかり絡んで食べ応えがありました。

温かいうどんは、ほうとうに近かったですが、これほど幅広の麺を食べるのははじめて。ひもかわうどんの温かいうどんには通常きつねが入るとのこと。きつねが入ってかなり甘めの出汁。私は冷やしうどんの出汁の方が好みでした。

水沢うどん(渋川伊香保) 水香苑さん 


伊香保温泉に近い水沢うどん街道沿いの店。混んでいて駐車場で1時間近く待ちました。
コシのある麺が特徴の水沢うどんは、ごまだれと醬油だれで食べるざるうどんが主流だそうです。
「ざるうどん 二色だれ(しょうゆ+ごまくるみだれ)」と「かけうどん」を注文しました。

器にこだわっており、どれも個性的なデザインでした。メニューを見たところ、青森の津軽金山焼きや栃木の益子焼を使っているとのこと。

細すぎず太すぎず四角いうどんで、歯ごたえがあります。製麺過程に三段階の熟成を加えることで、コシのある麺になるそうです。

麺1本がかなり長かったです。そばちょこに入れるのが難しかったです。

醬油だれは甘すぎず濃すぎず。ごまくるみだれは甘くて濃い味で好みが分かれそうです。

かけうどん(温)のうどんはしっかりと噛み応えのある麺で、出汁は甘めでした。

水香苑さん ざるうどん 二色だれ(しょうゆ+ごまくるみだれ) 990円

水香苑さん かけうどん 790円

さて、渋川市の伊香保温泉から館林市へ向かいます。車で1時間半の移動。赤城山の裾野が広がっています。

館林うどん(館林市)  館林うどんさん


うどんを製造・販売創業75年の館林うどんさんへ向かいましたが、残念ながら食堂の営業時間に間に合いませんでした。売店でうどんを買って帰ろうと商品を見ていたところ、おかみさんに話を伺うことができました。

「昔は館林市あたりでは小麦畑がたくさんありました。米作りに適さない土地柄で、昔から小麦を栽培していました。昔は皆機織りをしていて、お昼にうどんを打って食べていました」

館林うどんさんは、もとは粉屋さんだったそうです。

うどんは主に乾麺。館林はからっ風が強く、昔は冬場、うどんを自然の風で乾かしていたとのことです。上質な小麦を使った館林うどんさんのうどんは、高級うどんです。

陛下や元総理もご公務でお出かけの際に立ち寄って、うどんをお求めになったそうです。

うどん製造・販売のみだったところ、うどんを買いに来たお客様から、食べる所はないの?という声があり、食堂を作ったそうです。

夏は細めのうどん(ひやむぎそうめん)を。冬は煮込みや釜揚げ用に太めのうどんをおすすめしているとのことでした。

館林うどんのおかみさん、スタッフの皆さん、閉店間際に駆け込んでお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。

「おっきりこみ」と何が違うの?

さて、群馬には「おっきりこみ」といううどんがあります。「おっきりこみ」は群馬県の山側、北部地方の郷土料理で、幅広のうどんと野菜等の具と一緒に煮込んで食べる煮込みうどんです。

農林水産省 うちの郷土料理 群馬県 おっきりこみ 

味付けや具材は各家庭によって違いますが、山間部では味噌、平野部では醬油の傾向があるようです。

雪の降る寒い冬、とろみのついた熱々の「おっきりこみ」を食べると、さぞ体が温まったことと思います。

館林うどんのおかみさんの話によると、群馬の郷土料理「おっきりこみ」を広めようと、県が地元のうどん屋さんに呼びかけて皆で取り組み、幅広の麺が注目されるようになったそうです。

幅広の麺といっても、家庭でうどんを作って麺を切ると、あまり細く切れず幅広になった、ということのようです。

ところで、同じ幅広のうどん「ひもかわうどん」と何が違うのか?
調べたところ「おっきりこみ」は、「ひもかわ」・「おきりこみ」・「きりこみ」・「ほうとう」・「煮ぼうとう」・「煮込みうどん」等、地域によって呼び名が違うようです。

幅広のうどん麺を茹で、水で洗って冷やしうどん等調理すると「ひもかわうどん」。
幅広のうどん麺をゆでずに直に出汁に入れ、野菜等の具と一緒に煮込んで味噌や醬油等で味漬けして食べるのが「おっきりこみ」。

とされているようです。

「ひもかわ」を茹でずに直に出汁に入れ、具と一緒に煮込んだ場合、料理名は「おっきりこみ」になると思います。

麺を茹でずに直に出汁に入れるのは、ほうとうと同じですね。

新米

さて、今年も新米が出回りはじめたにも関わらず、5kg5千円程度と、価格が下がっていません。

群馬は昔から米作りに恵まれた土地ではなかったことから、小麦が栽培され、家庭では皆うどんを作って主食にしていたことがわかりました。

そして、からっ風で乾かして乾麺を作りました。

水団(すいとん)、炭酸まんじゅう、焼き餅など、小麦粉を使ったおやつを作りました。焼き餅という名前がついていますが、小麦粉で練ったおやきのようなものです。

米が貴重でも、やりくりして暮らしてきた群馬の人々を見習って、うどんでも作ってみます。

(参考)
・観光ぐんま 水沢うどん
https://gunma-kanko.jp/features/255

・うちの郷土料理 粉食文化 
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/area_stories/gunma.html

・麦の国ぐんま
https://www.pref.gunma.jp/uploaded/attachment/136415.pdf

・群馬の粉食文化・オキリコミ
https://gunma-boe.gsn.ed.jp/wysiwyg/file/download/510/15

・リゾバ 日本三大うどんは?
https://www.rizoba.com/magazine/themes/play/trip/0047/

・Plenus文化研究所 群馬県の気候風土と文化
https://www.plenus.co.jp/kome-academy/kome_library/culture/

・全国乾麺協同組合連合会 一般社団法人乾めん・手延べ経営技術センター
https://www.kanmen.com/topic/04_chigai.html

・100年フード 群馬県
https://www.bunka.go.jp/seisaku/shokubunka/foodculture/hyakunenfood/jirei/list_gunma.html

・おっきりこみ 群馬県製麺協同組合
http://www.jyosyu-udon.jp/okirikomi/index.htm

夏期休業のお知らせ

日頃より弊社製品をご利用頂き、ありがとうございます。
誠に勝手ながら、以下の期間を休業させていただきます

ご不便をお掛けいたしますが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

【休業期間】
2025年8月10日(日)~8月17日(日)

給食とコッペパン

皆さま、こんにちは。昨日は北海道から和歌山まで、太平洋側の広い範囲で3mの津波が来ると、津波警報や非難指示がだされ緊張しましたが、大きな津波でなくほっとしました。

夏休みで太平洋沿岸を訪れていた人々は、不慣れな土地で、高台を目指して走って、さぞ怖かっただろうと思います。

海岸近くに行く時は、どこに高い建物があるか等、調べておく必要があると改めて思いました。

さて、今年は酷暑のせいか蝉の声が聞こえないと思っていたら、海の日あたりからうるさくなってきました。

7月初旬頃は、港にかえってきたカツオ船やマグロ船から、次の出航に備えて急ぎのご注文が入ってバタバタでした。毎度ご注文を頂いてありがたいことです。

近海では短期間で漁場と港を往復して漁を行ない、遠洋は半年以上も日本を離れての漁。本当にご苦労なことと思います。

私たちも日々技術をみがいて、丈夫で長持ちする合羽を作りたいと思います。

コーヒーも値上げ

さて、私は毎日缶コーヒーを飲んでいます。1日2回。お気に入りはBOSSです。最近はペットボトルのコーヒーもいろいろありますが、私は缶コーヒーが好きです。

友人によると、コーヒー好きな人は缶コーヒー派が多い、とのこと。

コーヒー関連の飲料規格により、パッケージに表示されている種類別名称は「コーヒー」・「コーヒー飲料」・「コーヒー入り清涼飲料」の3種類に分類されているそうです。

缶コーヒーの名称はほとんどが「コーヒー」で、ペットボトルは「コーヒー飲料」が多いようです。缶コーヒーの味は濃く、ペットボトルは薄くて飲みやすい、といったところでしょうか。

ミルクの入ったコーヒー飲料は、乳固形分3.0%以上含む場合、「乳飲料」に分類されるようです。

私が毎日飲んでいる「BOSS(無糖・ブラック)」は「コーヒー」。
「ジョージア カフェラテ」は「コーヒー飲料」。
「クラフトBOSS カフェモカ」は「コーヒー入り清涼飲料」。

パッケージの表示をよく見て購入しようと思います。

普段は缶コーヒーですが、外出先では、時々コンビニの店内コーヒーを利用します。先日ローソンさんの店内コーヒーを買ったところ、以前より値段があがっていました。

ローソンさんのマチカフェは、Sサイズ140円が7月から160円に値上げ。

セブンイレブンさんのセブンカフェは、2013年にレギュラーサイズを100円で発売以来、2022年に原材料高で110円に値上げ。2024年に120円に。そして7月から3回目の値上げで140円に。

ファミリーマートさんのファミマカフェは、5月末からSサイズ130円が145円に値上げ。

いずれも15~20円の値上げです。

UCCさんなどの情報によると、コーヒー豆価格高騰の原因は、世界的な需要増、資源高による生産コスト増、生産国での異常気象による供給量の減少。

それによりコーヒー生豆国際相場は過去最高、日本は円安によりコーヒー生豆価格が2024年の約2倍、とのことです。

国際コーヒー機関の発表(2024年7月)によると、2023年のコーヒー消費量は?

1位 アメリカ
2位 ブラジル
3位 ドイツ
4位 日本

日本がフランスやイタリアより多いとは意外ですね。

昨年あたりから、レギュラーコーヒーの価格も買う度にあがって、二倍近くになっていると東京近郊に住む友人が言っていました。

そう言えばお米の価格も二倍に。

米の価格が二倍となると、コストが厳しい給食の現場はさぞご苦労なさっていることと思います。

給食の現場

調べたところ、米価格が2倍になったことに対し、自治体によっては給食費の補正予算を組んだり、ご飯の回数やおかず・デザートを減らすなどして対応しているようです。

ちなみに、我が社は紀州給食さんのお弁当を利用しているのですが、先日、ご飯の種類が国産米からカリフォルニアカルローズ米に変わったと連絡がありました。

ひと昔前のカリフォルニア米はパサパサで、日本人の口には合わない、と聞いたことがありました。

カリフォルニアカルローズ米は国産米に比べると小粒で、国産米のようなもちっとした粘りはないですが、普通に美味しかったです。

調べてみると、7月末現在、5kgの国産米が5千円前後のところ、カルローズ米は3千円台。外食産業さんじゃなくても、買うと思います。

学校給食では、地元の食材活用に取り組んでいるため、コストが厳しくても、外国産米の利用は難しいかもしれないですね。

給食のパン

ご飯の代わりにパンを、というのもなかなか難しいようです。

米騒動をきっかけに米の値段が上がる前から、給食にパンを提供するのが難しくなってきたという話はありました。

採算が取れない、職人不足、工場の老朽化、などの理由から、学校給食パン業者が年々減少しているそうです。

2009年に文科省が米飯給食の推進を通知し、現在パン食は週1回と決められているそうです。

和歌山市の中学校給食の献立によると、毎週水曜日がパンの日になっていました。

パンと言っても、コッペパン、黒糖パン、米粉パン、メインのおかずサンド、バーガー、等がありました。

一昔前の給食と言えばコッペパン

現在はご飯がメインになっていますが、一昔前の給食と言えばコッペパンでした。私が子供の頃、給食は毎日がコッペパンで、カレーライスの時以外、ご飯はなかったです。


私より一回り下の友人も、基本主食はコッペパンで、ご飯ものは月に数回だったと言っていました。調べてみると、米飯給食が正式に導入されたのは1976(昭和51)年でした。

なぜコッペパンだったのでしょうか。コッペパンについて調べて見ました。

コッペパンのルーツ

コッペパンを開発したのは、大正時代にアメリカで製パン技術を学んだ、東京上野丸十パンの創業者、田辺玄平氏。

田辺氏は帰国後、ドライイーストを使ったパン製造法を確立した人物です。

1919年、携帯に便利な、陸軍用の兵糧(ひょうろう)パンとして作られました。食パン生地を使ったふっくらしたパンが、コッペパンの原型と言われています。

兵糧(ひょうろう)と言えば乾パンが有名ですが、ビスケットやクッキーに近いと思います。

ドライイーストを使ったパン製造法ができたことで、ふっくらシンプルなパン、コッペパンが誕生。

そこから様々な種類のパンが生まれ、私たちもふっくらしたパンを食べることができているわけですね。

コッペパンが関東大震災時の救援物資に

手軽に食べることができるコッペパンは、災害時の救援物資にもなっています。

「超熟」で知られる敷島パン(パスコ)さんは、大正時代の関東大震災時に、救援物資として、食パンとコッペパンを関東へ届けたそうです。

コッペパンが学校給食に採用されたわけ

学校給食は、1889(明治22)年、山形県のとあるお寺の中にある市立中学で、生活が苦しい家庭の子供に無償で昼食を出したことが起源とされているそうです。

その後、児童の栄養改善のための方法として全国に広がりましたが、戦時により一旦中止になります。

第二次世界大戦直後の食糧不足の時代、児童の栄養状態が悪化し、国民の要望が高まったことで再開され、1954年(昭和29)には「学校給食法」が成立しました。

コッペパンが給食に採用されたのは、

・安価で栄養価が高かった
・型が不要
・製造工程がシンプル
・大量生産が可能

などの理由から、学校給食に採用されたようです。

コッペパンの魅力

食パンが主流となった今でも、コッペパン好きの人は多いようです。コッペパン専門の店もあります。

最近の食パンは甘みの強いパンが多いように思います。コッペパンは、甘みも塩加減もほとんどないですが、私はそこがいいように思います。

フランスパンのように堅過ぎず、ロールパンや食パンのように柔らかくない所もいいと思います。

クラスメイトと食卓を囲んだ子供の頃は楽しかった、というのもあると思います。

和歌山に昔からあるパン屋さん「ナカタのパン」では、昔ながらのコッペパン(天然酵母)があります。パサつきもなく少し甘みがあって、何もつけなくても美味しいです。

和歌山のフルーツで作ったジャムを使ったコッペパン「和歌山コッペ」(あおうめ・きんかん・みかん・桃)もあります。

給食で好きなメニューと言えば?

さて、一昔前の給食で好きなメニューと言えば、くじらの竜田揚げ。

昭和20年~40年代は捕鯨が行なわれ、戦後の食料不足時、鯨肉は栄養のある安い食材として庶民の生活を支えました。

祖父が八百屋を営んでいた頃、店でもくじらの赤身を扱っていました。近所の店でも普通にくじらの赤身が置いてありました。そんなに高いものではなかったと思います。

給食の献立には、くじらの竜田揚げ、大和煮(しぐれ煮)等がありました。

竜田揚げは、にんにくや生姜の風味をきかせた醬油ダレにくじら肉を漬け、片栗粉をまぶして揚げたもの。大和煮(しぐれ煮)は、醬油をベースに生姜と砂糖で甘辛く味付けされたおかずです。

1987年に商業捕鯨が制限され、価格が高騰し、給食の献立から外れたそうです。現在は一部の地域で、日本の食文化を伝えるために提供されているそうです。

和歌山は昔から鯨を食する文化があり、紀美野町の学校給食献立に、くじらの竜田揚げが載っていました。

揚げパン

さて、好きな給食メニューと言えば揚げパン。揚げパンは、手や口の周りがベタベタになるものの、揚げパンの日はみんな喜んでいたと思います。

私は、揚げパンはコッペパンの味の種類のひとつとして作られた、と思っていました。が、違っていました。

揚げパンは、小学校の調理師さんが、乾燥したコッペパンを美味しく食べる方法として考案したそうです。

パンのデメリットをアイディアで美味しいパンに変えるとは、見事ですね。

ビジネスに必要な視点だと思います。

(参考資料)

・農林水産省 https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2006/food01.html
ヤマサキパン
https://www.yamazakipan.co.jp/entertainment/pankiji/report/index70.html
・パスコ https://www.pasconet.co.jp/frozen/blog/74
・UCC 上島コーヒー 
https://www.ucc.co.jp/company/news/2025/rel250625c.html
・日経 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC301GS0Q5A630C2000000/

メジャー名「のどぐろ」 マイナー名「アカムツ」

皆さま、こんにちは。今月は初旬に雨が降っただけで、その後は6月とは思えない真夏のような暑さが続きました。月末になってようやく梅雨らしいまとまった雨が降っています。

先日、隣町の貴志川の産直市場に行ったところ、「あら川の桃」が出回っていました。「あら川の桃」は、江戸時代から栽培が行なわれている、和歌山県紀の川市桃山町で採れる桃です。

毎年桃の販売は6月中旬頃から。まだそれほど大きな玉ではなかったですが、桃のシーズンを楽しみに待っていた人たちが箱で買っていました。

「あら川の桃」は、私もこの時期のお遣い物にすることが多いです。

6月末現在、「桃山白鳳」「日川白鳳」「八幡白鳳」「紀の里白鳳」がシーズンを迎えています。

石川でのどぐろゲット

さて、先日副社長と石川へ出張しました。石川県漁協さんの事務所が金沢港に移転して初の訪問でした。帰りにちょうど向かいに観光客向けの市場「いきいき魚市」があったので覗いてみました。

魚屋さん、立ち食いの寿司屋さん、買ったお魚を料理して食べることのできるイートインコーナー等の店舗が入っていました。

魚屋さんには地元で獲れたお魚がずらりと並び、その半分程度が「のどぐろ」でした。

子供の頃から「のどぐろ」には馴染がなかったです。以前、母がグルメ番組を見てのどぐろに興味を持ち、鳥取へ出張の際、のどぐろの干物を買ってきて食べたのが最初です。

脂がのって美味しかったのを覚えています。今回も母に頼まれていたので、いろんなお店ののどぐろを見てまわりました。

30~40㎝もある大きなのどぐろのお値段は何と2万5千円程度。高級魚であることは知っていましたが、こんなにするとは思わなかったです。

副社長は先程の画像の下の方にある12、3㎝程度のサイズののどぐろが5匹入って1カゴ千円の商品を、私は干物を買いました。

約20㎝ぐらいの大きさの干物が3枚で3千円程度でした。普段食べてる鯵の干物とはまた違って、脂ののった白身魚はとても美味しかったです。

「のどぐろ」は「アカムツ」だった

さて近年高級魚として知られているのどぐろですが、調べたところ、正式名称は「アカムツ」。「のどぐろ」=「アカムツ」だったのです。

周りに聞いてみたところ、「アカムツ」は白身魚にしては脂がのっている魚で、煮付け・焼き魚など定食のおかずになり、それほど高級魚ではなかったという話でした。ネットにも同じようなコメントがありました。

いつから「のどぐろ」と言われるようになり、高級魚になったのでしょうか。調べて見ました。

のどぐろブームのきっかけ

のどぐろが有名になったのは、島根県出身のテニスプレーヤー錦織圭氏が、2014年全米オープンテニスで準優勝した時のインタビューで、地元ののどぐろが食べたいと言ったことがきっかけだそうです。

魚は地域や成長過程によって名前が違うことがありますが、日本海側の北陸・山陰地方では「アカムツ」のことを「のどぐろ」と言うそうです。

喉の奥が真っ黒なことから「のどぐろ」と言われるようになったそうです。

翌年の2015年には北陸新幹線開通。日本海側へ新幹線が繋がったことで、のどぐろ等日本海の幸を求めて、観光客が増えたと思われます。

普通に親しまれていた魚が、ある出来事を境に、グルメ番組などで取り上げられ、価格も高騰して、いつの間にか高級魚に。そして、名前も「アカムツ」よりも「のどぐろ」が使われるようになったようです。

マーケティングに詳しい友人にこの件について聞いてみたところ、意見を聞かせてくれました。

のどぐろブームきっかけのポイントは3つ。

・影響力のある情報発信する人(インフルエンサー)が有名スポーツ選手だった
・情報発信の場がインタビュー会場だった(大勢のメディアがいた)
・一見一般に知られていない名前の魚だった

メジャ-な魚ではなかったことが、「のどぐろってどんな魚?」と注目され、話題になりました。

「のどぐろ」=「アカムツ」で、「のどぐろ」は日本海側の一部地域での呼び名、ということよりも、ミステリアスな貴重な魚としてイメージ付けられたように思う、と言っていました。

「のどぐろ」の価値が高まるにつれ、食品業界は「のどぐろ」の名前を使うようになり、「アカムツ」よりも「のどぐろ」の呼び名の方が一般化したようです。

「のどぐろ」を買うと、パックに標準和名「アカムツ」の名は記載されていると思います。

私も「のどぐろ」=「アカムツ」だと知らなかったですし、周りに聞いても「のどぐろ」が「アカムツ」だと知っている人はいませんでした。

調べたところ、昔から「アカムツ」が好きな人達は、普通に食べてた魚で高級魚じゃなかったのに、のどぐろになった途端値段が上がって手がでない、等のコメントがありました。

「のどぐろ」=「アカムツ」について

「日本産魚類検索全種の同定第三版」を元にした情報などによると、アカムツは水深60メートル〜600mの大陸棚及びその斜面に生息。生息海域は広いです。

青森〜九州の日本海・東シナ海   
北海道〜九州の太平洋沿岸        

日本近海の深い所にいます。新潟辺りから長崎辺りまでの日本海側で多く漁獲され、長崎・山口・島根・石川・新潟が、のどぐろ産地として知られています。

漁の方法は産地によって異なりますが、定置網、刺し網、底引き網、ごち網、延縄、などがありますが、底引き網が多いようです。

生息している水深は水深60メートル〜600mの大陸棚及びその斜面とのことですが、大体は100~200mだそうです。

平均は30~40㎝で大きいものになると50㎝ぐらいになるそうです。1年を通じて獲れるようですが、旬は秋から冬。産地によって少しずつ異なります。

石川 9月~12月 
新潟 7月~9月 
山口 9月~10月
島根 9月~12月
長崎(対馬) 9月~12月 

各産地は差別化を目指しており、ブランドのどぐろも誕生しています。

『どんちっちノドグロ』 島根県浜田市

『美宝』 新潟県  

『紅瞳』 長崎県対馬

日本海側ののどぐろが太平洋側に

今年に入って、太平洋側の宮城県でのどぐろの漁獲が急増しているとの情報があります。
専門家の話では、海水温の上昇による影響で、日本海側にいたのどぐろが津軽海峡を越えて太平洋側へやってきたと見ているようです。

本来イワシの産地である千葉でイワシが獲れず、津軽海峡を越えて日本海側の石川や富山辺りで獲れていると以前ブログで書きました。その逆の現象になっているようです。

地域によって名前が違う魚と言えばブリ

魚は地域や成長過程によって名前が違うことがありますが、日本海側の北陸・山陰地方では「アカムツ」のことを「のどぐろ」と言い、それがブームとなるポイントの一つでした。

地域によって名前が違う魚として、最も知られているのは「ブリ」だと思います。

ブリは回遊魚で日本各地の沿岸に生息しています。調べたところブリはアジ科。ブリがアジ科とは意外でした。

成魚になれば「ブリ」ですが、成長過程と水揚げされた地域によって名前(呼び名)が違います。

 1年目2・3年目4年目5年目
大きさ10㎝未満の稚魚20㎝程度

西:30㎝以上40㎝未満

東:35㎝以下

西:40㎝以上60㎝未満

東:35㎝以上60㎝未満

西・東:
60㎝以上80㎝未満

西・東:

80㎝以上

西日本モジャコ

ツバス(九州)
ツバイソ(富山)
コヅクラ(石川)
アオコ(山形)

ヤズ(九州)
フクラギ(富山・石川)

ハマチメジロ
ガンド(富山・石川)
ブリ
東日本ワカシ・ワカナイナダワラサ

西は「ハマチ」東は「イナダ」

東京近郊に住む西日本出身の友人に、スーパーに「ハマチ」と「イナダ」が置いてあるか尋ねたところ、「ハマチ」はあまり見かけない、「イナダ」と「ワラサ」なら時々あるとのことでした。

早速、房総沖で獲れた「ワラサ」のお刺身があったから買ってきたと、画像を送ってくれました。冬場と違って脂がのってないものの、さっぱり味で臭みもなく、とても美味しかったそうです。

ワラサはブリの若魚で、東の「ワラサ」は西では「メジロ」、西の「ハマチ」は東では「イナダ」、と伝えたところ、「ハマチ」=「イナダ」とは知らなかった、「ハマチ」と「ブリ」は別の魚と認識してた、とのことです。

というのも、友人の出身地四国では「ハマチの養殖」と言ったそうです。

ブリ養殖の盛んな西日本では、養殖したブリのことを「ハマチ」と言い、それが全国に普及しています。

魚介類の名称について水産省のガイドラインがあります。
ブリのように地域によって名前の異なる魚は、その名前が一般に理解される地域においては、地方名を記載することができます。そうでない場合は、標準和名を併記することになっています。

ハマチの場合は天然か養殖か。天然の場合は西日本はハマチかメジロかブリか、東日本はイナダかワラサかブリか。パックの表示をよく見てから買い物するようにしたいと思います。

ところで、養殖ブリの産地として知られる九州。毎年3月~4月、養殖用にブリの稚魚を獲るモジャコ漁が行なわれますが、最近ではモジャコが獲れなくなったと聞いています。

原因の一つに、流れ藻が少なかったことにあり、潮の流れが関係しているとの見方があるようです。

出張の際、各地の養殖ブランドブリを味わう機会がありましたが、それぞれ美味しかったです。

九州 鹿児島 『ブリ王』 東町漁協

四国 愛媛 『豊島ブリ』 愛媛県漁協連合会 

「脂っこい」を方言で言うと

さて、「のどぐろ」=「アカムツ」と「ブリ」の魅力は、脂ののりのよさ。
ブリの名前は、脂が多いことから「あぶら」→「ぶら」→「ぶり」と、発音が転訛したとされています。

「アカムツ」は、「むつこい」という脂ののりをあらわす言葉が転じて「ムツ」という名前がつき、赤い色のムツで「アカムツ」となったと言われています。

「脂っこい」を「むつこい」・「むつごい」と言う地域は多いようです。

四国・中国地方出身の友人によると、脂っこいもの・味の濃いものを食べた時に「むつこい」・「むつごい」を使う、と言っていました。

私の住んでいる和歌山では、「脂っこい」を「ねつこい」・「ねちこい」と言います。隣の大阪でも、「ねつこい」・「ねちこい」と言ったかと思います。

魚の名前から、その表現まで、地域によって様々とは。

他藩との行き来が簡単ではなかった江戸時代の体制が、独自の言葉(方言)を産んだという見方もあるようです。

江戸時代、女の一人旅は難しいと小説や時代劇で見ました。そう考えると、ある時は会社の車、またある時は電車・飛行機・船などに乗り、気軽に日本各地へ出張できるのはありがたいことだと、改めて思いました。

(参考)
・旬の食材百科 
https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fish/akamutu.ht
・首都圏ナビ
https://www.nhk.or.jp/shutoken/articles/101/006/78/
・新潟県 https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/suisan/bihou.html
長崎県津島市
https://www.city.tsushima.nagasaki.jp/material/files/group/26/gyozukan-all.pdf
築地市場
https://www.tsukijiichiba.com/user/collection/1312?srsltid=AfmBOoovjZptmmaQocFZ1mjqBY9cXD-7W2o2Hx575-y_-D01V1ymnqT0
・kht-tv 東日本放送     https://www.khb-tv.co.jp/news/15602592
・FRA 国立研究開発法人 水産研究・教育機関  https://jsnfri.fra.affrc.go.jp/kids/buri/kw6.html
あら川の桃振興協議会  https://aramomo.server-shared.com/index.html
・マルイチ産商 https://www.maruichi.com/osakana/toto_recipe/post-52.php
農林水産省 https://www.maff.go.jp/j/heya/pdf/guide_line.pdf
八面六臂 https://hachimenroppi.com/wiki/details/buri/

 

 

江戸の藍染めブーム

皆さま、こんにちは。段々と蒸し暑くなってきました。今月半ば、全国的に突然気温が上がって真夏日になり、体がびっくりしました。35度になった所もあったそうです。

その後も湿度が80%以上にもなる日が続き、毎日クーラーをつけています。

真夏日になった頃、5月の第三日曜は、町内の一斉清掃。溝掃除をして暑くてぐったりでした。溝清掃が終ると、動木にある農業用ため池「樫河(かしこ)池」から田んぼに水を流して、田植えが行なわれます。

我が社は6月1日が衣替えですが、近年春頃から外気温が高いこと、工場は熱溶着機があってさらに暑くなることから、4月頃から夏の作業着に衣替えしています。

江戸の衣替え

江戸時代、幕府により武士の衣替えの日程と服装が指示されたのがはじまりです。衣替えは年4回あり、それが庶民に伝わったとされています。

 武家庶民
4月1日~5月4日 袷(あわせ) 小袖(こそで)袷(あわせ)  
5月5日~8月晦日 単衣(ひとえ) 帷子(かたびら)単衣(ひとえ)  
9月朔日~9月晦日袷(あわせ) 小袖(こそで)袷 (あわせ) 
10月朔日~3月晦日綿入れ 小袖(こそで)綿入れ


単衣(ひとえ)は、裏地のない一枚の布で作られた着物。
袷(あわせ)は裏地のある着物。
帷子は(かたびら)は、袷(あわせ)の裏地を外して単衣(ひとえ)にした着物。
綿入れとは、表地と裏地の間に綿を入れて仕立てたもの。

武家と庶民で若干違いがありますが、春秋は裏地のあるもの、夏は涼しい1枚もの、秋冬は温かいもの、となっており、今と同じですね。

ファッションに制限がかけられた江戸時代

さて江戸時代、着物の生地から色柄まで制限された江戸っ子は、茶色・鼠色・藍色など地味な色のバリエーションを作り、一見無地に見える江戸小紋柄を生み出したことは、前回のブログでお伝えしました。

先日東京近郊に住む友人が、最寄り駅前で待ち合わせ中に行き交う人々を眺めていたところ、明るい色の服を着ている人がいなかったそうです。

ユニクロさんの今シーズンのTシャツのカラバリを調べたところ、明るい色がなかったです。季節柄、ワンポイントにビビッドカラーがあってもよさそうですが。

アースカラー、くすんだ色、暗い色など地味ですね。ファッションを制限された江戸時代の四十八茶百鼠(しじゅゆうはっちゃひゃくねずみ)のラインナップのようです。

最近驚いたのは軽トラ。お世話になっている電気工事屋さん愛用の軽トラはミント色、パステルグリーンです。

調べたところ、車の名前はバスケット。2009年の東京モーターショーで公開。農業用や配送用以外の一般ユーザー向けのカジュアルなスタイルの車=軽トラとして、16年前から発売されていました。

軽トラと言えばほとんど白でしたが、パステルグリーンの軽トラは、軽トラのイメージを変えますね。

 

藍染め

さて、前回のブログでは江戸時代のファッションカラー鼠色と茶色について調べてご紹介しましたが、今回は藍色・藍染めについて調べてみました。

藍染めの原料の「藍」は人類最古の青色染料と言われているそうです。奈良時代に中国から日本に伝わったとされています。

 

鎌倉時代、1番濃い藍染めを「褐色(かちいろ)=勝色」といい、武士が鎧の下に着たそうです。藍色は武士の色として定着しました。

江戸時代、綿花栽培がさかんになり、木綿が量産されるようになりました。木綿の普及には肥料の干鰯(ほしか 現在のいりこ)の存在がありました。

木綿の量産により、着物や作業着、のれん等、藍染めを使った製品が作られました。藍染めは、綿との相性がよかったそうです。

藍で染めた布は強く、防虫効果や殺菌効果があり、野良着など仕事着や下着や足袋に使われたそうです。また、燃えにくく、保温性に優れたことから、道中着や火消しの半纏にも使われました。

現代のデニムといったところでしょうか。防虫効果や殺菌効果まであるとは驚きです。

藍染めの原料

藍色の色素が含まれている植物を「藍」、その植物で色を染めることを藍染めと言われています。

藍の含まれる植物には、トウダイクサ科(ヤマ藍)・タデ科(タデ藍)・アブラナ科(ウォード)・マメ科(琉球藍)・キツネノマゴ科(インド藍)などがあるようです。

日本に古来ある藍はトウダイクサ科の山藍(ヤマアイ)。葉の「青摺り(あおずり)」が使われました。青摺りは緑色に染まるそうです。山青摺り(やまあおずり)という和の色がありました。


藍染めの原料はタデ科の「タデ藍」。タデ藍は東南アジアから中国にかけて自生するタデ科の植物で、6世紀頃に日本に伝わったとされています。

江戸時代から阿波(現在の徳島県)が藍の産地として知られています。

藍染めには「生葉染め」「乾燥葉染め」「すくも染め」があります。生葉染めは濃くそまらず、すくも染めが最も濃く染まるそうです。

春にタネをまき、夏に刈りとったものを使うのが生葉染め。
生葉を乾燥させた乾燥葉を使うのが乾燥葉染め。
生葉を乾燥させ、水を加えて発酵させた染料「すくも」を使ったのがすくも染め。

すくもを運搬しやすいように臼で突いて固めて乾燥させて扁円形の小さな固まりにしたものが「藍玉」。

染料に布や糸を浸して天日でかわかす作業を何度も繰り返すことによって、深みのある藍色ができるそうです。

藍色、紺色、浅葱色など、染める回数によって濃淡が生まれます。藍48色と言われる程のバリエーションがあるそうです。淡い色は色相が緑よりに、濃い色は紫よりになります。

藍染めとインディゴ染めの違いは?

藍染めとインディゴ染めの違いについて調べたところ、

タデ藍などの植物から生成される天然染料を使ったのが藍染め。
化学薬品を使って人工的に作られた合成染料を使ったのがインディゴ染め。

藍染めは、原料となる植物を栽培して染料を作ることからはじまり、時間と技術が必要でコストもかかりますが、色落ちや色移りが少なく、深い色合いがあります。

インディゴ染めは安定して染められ、安価に大量生産できるようになり、ジーンズが普及しました。色落ちしますが、それも味があるとされています。

紺屋町

さて、染物商は藍染めを主としたことから「紺屋」と言いました。呉服屋は着物を売る所、紺屋は藍染めなど染め物を作って売る所、ですね。

日本各地に紺屋町がありますが、城下町において職業別集住制が導入され、染め物職人が集まる染物商(紺屋)があった所です。

紀美野町の隣の和歌山市にも、東紺屋町・西紺屋町・湊紺屋町と、紺屋の地名があります。

名所江戸百景・神田紺屋町 歌川広重

ところで、江戸の三大呉服店をご存知でしょうか。越後屋・白木屋・大丸屋です。

当時呉服店は日本橋、大伝馬町にありました。駿河町の越後屋、通一丁目の白木屋、大伝馬町の大丸屋。

越後屋は三越伊勢丹、白木屋は東急百貨店、大丸屋は大丸松坂屋百貨店と、現代に続いています。

東都大伝馬街繁栄之図 歌川広重

刺し子

さて、藍染めと言えば「刺し子」。作業着などの補強や補修や保温のために、布を重ねてひと針ひと針刺し縫いしてできた衣料品を「刺し子」と言います。

東北地方などの寒冷地は綿の栽培に適さず、綿は貴重品として扱われました。1724年、農家倹約分限令によって、農民は綿布の使用が禁止され、藍染めの麻布を使用しました。

「刺し子」は、布を大事に使うための人々の知恵から生まれた技法で、綿が普及しはじめた江戸時代中頃から行なわれたとされています。糸には木綿糸が使われました。

日本三大「刺し子」と言われているのが、「こぎん刺し(青森県津軽地方)」、「南部菱刺し(青森県南部地方)、「庄内刺し子(山形県庄内地方)」。

通気性のよい麻布は防寒にならなかったことから、厳しい冬を乗り越えるためのアイディアが「こぎん刺し」・「南部菱刺し」です。重ねた布に細かな図柄を刺し縫いすることで、生地を強くしました。

衣料品の補強や保温するための刺し子でしたが、麻の葉など、絵柄に願いを込めるようになったそうです。

身近な「刺し子」として、武道の道着や花ふきんがあります。

 

寒い冬、温かい綿の着物を着ることができず、辛抱して毎日刺し子着を縫った人々の忍耐強さを見習って、日々仕事したいと思います。

 

(参考)
山藍摺り https://irocore.com/yamaaizuri/
イー薬草ドットコム http://www.e-yakusou.com/sou02/soumm246.htm
万葉の植物 ヤマアイ https://kemanso.sakura.ne.jp/yamaai.htm
藍の豆知識 https://biei.blue/info/mame/17/
ヤマアイ https://www.uekipedia.jp/%E5%B1%B1%E9%87%8E%E8%8D%89-%E3%83%A4%E8%A1%8C-%E3%83%A9%E8%A1%8C/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%A2%E3%82%A4/
デニムの伝統的な染色とは? https://nlf-japan.com/570/
名所江戸百景・神田紺屋町 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/512231
日本橋 呉服店から百貨店へ https://smtrc.jp/town-archives/city/nihombashi/p05.html
東北の衣生活で生まれた刺し子の文化
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssds/5/1/5_KJ00001035919/_pdf/-char/ja
こぎん刺しとは https://kld-c.jp/blog/what-is-koginzashi
日本の伝統技術「刺し子」とは https://kld-c.jp/blog/what-is-sashiko
刺し子 伝統模様 https://www.olympus-thread.com/basic/sashiko/21/
大槌刺し子 https://note.com/otsuchisashiko/n/nfa918714be32
歌舞伎いろは 藍染め 
https://www.kabuki-bito.jp/special/costume/naganuma/post-naganuma-60/3/
日本の伝統色 https://www.colordic.org/w
和色 https://wa-iro.com/
カラーセラピーライフ https://www.i-iro.com/dic-nippon
江戸の町を彩った藍色たち https://spark-a.com/design/48-ai/
住友化学園芸 植物栽培ナビ タデアイ https://www.sc-engei.co.jp/cultivation/detail/5337/藍の真実 東洋経済 https://toyokeizai.net/articles/-/159722
水野染工場 https://hanten.jp/column/aizome/indigo1

GW期間中の休業について

平素より弊社製品をご利用頂き、誠にありがとうございます。
ゴールデンウィーク期間は暦通りに休業させていただきます。

ご不便をお掛けいたしますが、何卒宜しくお願い申し上げます。

【休業日】
2025年4月29(火)
5月3日(土)・5月4日(日)・5月5日(月) ・5月6日(火)

 

江戸っ子の意地

皆さま、こんにちは。先日、ご近所さんからタケノコとわらびをいただきました。この冬は何度も雪が降ったりして寒かったせいか、例年よりタケノコのできが遅かったそうです。

紀美野町内では田植えの準備中です。

さて、政府が備蓄米を放出したにも関わらず、米の価格は下がるどころか上がっています。さすがに関税を払ってでも輸入しようと、民間が独自に輸入する米は増えているようです。

大手スーパーは、西友が台湾米を、イオンがカリフォルニア米と国産米をブレンドした米を販売するようになりました。輸入食材店では日本の米に近いベトナム米が販売されています。

日本人なら日本のお米を食べたい、農家さんを応援したいと思っていますが、半年以上も値上りが続き家計を圧迫。国内米が買えないなら輸入米、という動きも当然です。

まずは主食の米や食料。となると、新しい春夏物の服や靴やバッグ等、ファッションアイテムにまで手が回らないこともあるかと思います。

今年のトレンドカラー

ところで、ファッションと言えば、今年のトレンドカラーは何色かご存じでしょうか。
パントーン社が毎年実施している『カラー・オブ・ザ・イヤー』は、温かみを感じるマイルドなブラウン「モカ・ムース」でした。

2025年春夏トレンドファッションのキーワードにも、ブラウンが入っていました。

茶色は一見地味ですが、同じベースカラーとして使われる黒のようにキツくないですし、紺のように堅い印象もないです。温かみのある色だと思います。

地味な茶色を粋にした時代がありました。江戸です。今回のブログも江戸にいってみましょう。

着物の生地・色・柄に制限

265年続いた江戸時代(1603~1868年)、幕府は贅沢を禁じて倹約を奨励・強制するための法令を何度か出しています。

取り締まりが厳しくなったのが、三大改革(享保の改革、寛政の改革、天保の改革)の頃のようです。

禁止令により、着物の仕様に制限がかけられました。その内容もかなり細いものだったようです。1628年(寛永五年)、農民は木綿・麻以外の着物を着ることが禁止されました。

生地だけでなくも制限されました。
紅、紫色を禁止。農民、町人、商人、武士も茶・藍・黒・鼠系統の地味な色合いの着物を着ました。

テレビの時代劇では、同心は黄八丈の格子柄を着ていますが、殿様クラスを除き、それ以外の侍や浪人は紺や濃いグレー、町人は茶色系など、地味な色の着物を着ているように思います。

町のファッションリーダーの芸者さんの着物を見ると確かに黒が多いですが、模様は華やかですし、大店のお嬢さんは華やかな色の着物を着ています。吉原の花魁はもっと華やかな着物を着ています。

禁止令の緩い時期、と設定しているのか、これらはテレビ用の演出で、実際はもっと地味だったのかもしれませんね。

生地や色にとどまらず、品代も規制されました。制限が将軍の正室の着物は銀400目以下、庶民は銀200目以下(30万円程度)、と上限がつけられたそうです。

人と同じは嫌だった江戸っ子

江戸っ子は反骨精神旺盛で、規制にも負けなかったようです。茶・藍・鼠色の濃淡を調整することでたくさんの色を生み出し、色名も〇〇鼠等、地味な名前がつけられました。

これがいわゆる「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」です。茶色で四十八、鼠色には百あるという意味ですが、数は正確ではないようで、実際にはもっとあるそうです。

地味な色でも、それぞれおしゃれに楽しみたいという庶民の思いがあったからこそ、職人による染の技術が発展しました。

鼠色

昔からある和の色、日本国内の規格、グローバルの規格などごちゃまぜですが、鼠と名前のついた色を調べて見ました。

茶色

続いて茶色について調べて見ました。緑っぽい茶色、黄色っぽい茶色、赤っぽい茶色と、かなり幅があります。地味ですが、鼠色に比べると明るい印象です。

当時のファッションリーダーは歌舞伎役者さんでした。歌舞伎役者が愛用した色に茶色が多かったそうで、色には役者さんの名前がついています。「団十郎茶」の柿色は有名ですね。

今年トレンドカラーの「モカ・ムース」と、「団十郎茶」を胸付きズボンにするとこんな感じに。ビビッドな色が多い水産合羽の中では、あまり見たことがない色味ですね。

弊社製品「エミック」のカラーバリエーション「オリーブ」は、上の色見本の「市紅茶」・「鶯茶」に近いと思います。

 

規制から生まれた江戸小紋

生地と色、そしても制限されました。
派手な柄は禁じられ、江戸の人々は縞・格子・小紋等、表向きに目立たないものを着用しました。
その結果、一見無地に見えるほど小さな柄の「江戸小紋」が生まれました。

江戸小紋は、和紙に図柄を彫って型紙を作り、生地に白抜き柄(模様)を型染めする技法です。同じ絵柄を何枚も染めることができる江戸小紋には高度な技術が必要で、型彫り師・型付け・染め等の技が発達しました。

型付けとは、生地の上に型紙をおき、防御糊を駒というヘラで塗りつけていく作業です。糊を塗った部分は色が染まらず、白い柄になります。

紙を彫る、というのがピンときませんでしたが、調べたところ、美濃和紙を3枚重ねて柿渋を貼り合わせた紙だそうです。また、柄ごとの道具があり、その道具を使って彫るそうです。

例えば、最も技術のいる「鮫柄」の場合、小さな三日月型の刃の突いた錐を生地に垂直にあて、刃をくるりと回して穴をひとつ彫るそうです。

穴は「皆(かい)」と言い、最初から最後まで同じ皆目で揃えることが必要になるとのこと。江戸小紋の代名詞「鮫柄」の中でも「極鮫」という柄を作るには、20年修行が必要になるそうです。

武士も競った裃(かみしも)の江戸小紋柄

江戸小紋流行のきっかけは、参勤交代。武士が江戸城へ出仕する時の服装に気を遣い、各藩で裃(かみしも)の小紋柄を競って作り、他藩の使用を制限したそうです。

東映時代劇YouTube 吉宗評判記・暴れん坊将軍 第01話[公式]

「江戸小紋三役」・「江戸小紋五役」と言われる柄は、格上の柄として知られています。

江戸小紋三役  鮫・行儀・通し(角通し)
江戸小紋五役  鮫・行儀・通し(角通し)・大小霰・縞

和歌山県ゆかりの紀州徳川家は、鮫柄。それも、1寸(約3.75㎝)四方に、900以上の皆目(かいめ)を彫った「極鮫」です。

当時、江戸小紋の型紙は「伊勢型紙」と言われ、紀州藩の領地、伊勢で作られました。「極鮫」は、型紙づくりのお膝元の職人技として知られています。

謂れ(いわれ)小紋

江戸小紋には、武士の裃(かみしも)柄の(定め小紋)の他に、謂れ(いわれ)小紋があります。

花鳥風月、生活用品、野菜、動物、縁起物など、普段の暮らしの中にあるものが図柄になっています。数え切れないほどあるそうです。

江戸小紋の彫り師さんら、職人チームの神わざのような技術には驚きです。

我が社も職人が合羽をひとつずつ手作りしていますが、どれも同じ品質になるよう、常に慎重に作業したいと思います。

今回、改めて感心したのは、江戸っ子の意地です。
法令を受入れつつ、代わりに地味な色柄のバリエーションを作ってお洒落に着こなしました。

着物の裏地に柄を入れたり、鮮やかな紅絹(もみ)を入れたり、赤い長襦袢を着て、地味な表着の裾から華やかな小紋柄がチラリと見えるようにする等、すごい意地です。

正義感の強い江戸っ子気質では、反抗してすぐにお咎めを受けそうなところですが。そこをぐっと堪えて、いろいろ考えて試したのだと思います。

我が社の製品に置き換えてみると、裏地に鮮やかな色や格子や縞柄を使ったり、足元の部分だけ違う色に替えたり・・・というようなことになりますが、防水仕様の生地をオーダーしている現状では、そんな物はできない、となります。

けれども江戸の文化は、できなかったことに挑戦して発展しました。

そのような江戸っ子の意地を見習って、日々仕事したいと思います。

(参考)
・VOGUE 2025年パントーンカラーオブザイヤーはモカ・ムース 
https://www.vogue.co.jp/article/pantone-color-2025-mocha-mousse
・ELLE 
春夏トレンドファッション 流行ファッションキーワード 
https://www.elle.com/jp/fashion/trends/a62744863/2024-spring-summer-trend-keyword-2411/
・トラディショナルカラーズ https://www.traditionalcolorsofjapan.com/
・カラーセラピーライフ https://www.i-iro.com/dic-nippon
・松木呉服店 ブログ 江戸の奢侈禁止令と呉服
https://819529.com/2015/06/%e6%b1%9f%e6%88%b8%e5%ba%b6%e6%b0%91%e3%81%ae%e3%83%95%e3%82%a1%e3%83%83%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%b3%e4%ba%8b%e6%83%85%ef%bc%88%e5%89%8d%e7%b7%a8%ef%bc%89%e3%83%bb%e5%a5%a2%e4%be%88%e7%a6%81%e6%ad%a2/
・松木呉服店 ブログ 江戸小紋染めとは
https://819529.com/2023/10/%e6%b1%9f%e6%88%b8%e5%b0%8f%e7%b4%8b%e3%81%ae%e6%a5%b5%e3%82%81%e3%81%a8%e3%81%af%ef%bc%88%e5%be%8c%e7%b7%a8%ef%bc%89%e3%80%80%e3%80%80%e9%ae%ab%e3%81%a8%e8%ac%82%e3%82%8c%e6%9f%84%e3%82%92%e6%a5%b5/
・和楽 https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/122635/

イワシの話

皆さま、こんにちは。3月は二度雪が降り、山全体が真っ白になる寒い日もありました。

下旬に入り、近所の垂桜の蕾みが膨らみ、つばめもやってきて春の訪れを感じた矢先、突然春を通り越して初夏のような陽気になりました。

それがまた寒の戻りで真冬並の気温になっています。

ジェットコースターのような気温の変化に体がびっくりしていますが、おかげさまで元気にご注文の品づくりに取り組んでおります。

黒潮とイワシ

さて、先日石川県の漁協関係の方から、2月頃からイワシ多くが獲れるようになったとの話を伺いました。

いわしの産地と言えば、黒潮と親潮がぶつかる房総沖。プランクトンが豊富な好漁場として知られています。それがここ数年、日本海側の富山や石川でイワシが豊漁になっています。

近所のスーパーでも、産地が石川のイワシが並んでいました。調べたところ、黒潮北上の影響のようです。

上の図は2025年3月末現在のメディア等の情報を参考に作成

房総沖から東に流れていた黒潮(暖流)が、海洋環境の変化によって北海道の南まで流れるようになり、親潮は千島列島に沿って宮城沖付近まで南下するところ、道東沖でとどまっています。

漁場が北に移り、現在釧路ではイワシが豊漁に、本来産地の房総沖ではイワシやサバが不漁になっています。

富山や石川でイワシが豊漁になっているのは、太平洋側から津軽海峡を通って日本海へ入ってきたとの見方があるようです。

イワシのように本来の産地で不漁、違う場所で獲れるようになっているケースは他にもあるようです。

新しい産地とするには、海洋環境がどうなるかわからず、漁業・経済両面から難しいテーマだと思います。

江戸時代イワシは肥料・燃料だった

さて、イワシは一番獲れる魚として知られています。大ぶりなものは焼き魚や刺身などに、小さなイワシはいりこ(煮干し)になり出汁として使い、私たちにとって最も身近な魚です。

西日本では「いりこ」、関東では「煮干し」、と呼び名が違います。煮干しは小魚を煮て干したもので、一般に煮干しというと「イワシの煮干し」のこと。

イワシは食料の他、肥料や燃料として昔から利用されてきました。現在も、有機栽培などに魚肥が使われています。そのルーツは江戸にありました。

干鰯(ほしか)

江戸時代、イワシを干したものを干鰯(ほしか)といい、干鰯は綿花栽培などの肥料でした。干鰯は現在の煮干し(いりこ)です。

約350年前の江戸時代に、干鰯(ほしか)用のイワシを追って千葉に向かった和歌山の漁師さんによって、銚子の漁業がはじまりました。

醬油や鰹節の製造技術も、江戸時代に和歌山から千葉に伝えられました。

窒素を多く含んでいる肥料(人糞尿、馬糞、牛糞)よりも、リン酸・カリを含んでいる干鰯の方が、綿花や野菜など花が咲いて実の成る作物の成りがよかったそうです。

当時も房総の銚子や九十九里でイワシ漁が行なわれていました。獲ったイワシを砂浜に撒いて、春夏は10~15日、秋冬は25~30日干して干鰯(ほしか)を作ったそうです。

作られた干鰯(ほしか)は船や陸路で江戸深川・相州浦賀の干鰯問屋へ運ばれ、船で上方へ運ばれたそうです。

江戸が舞台の時代小説にも干鰯問屋が登場したり、銚子や九十九里で獲れた干鰯の買いつけに、上方から江戸にやってくる商人の話をテレビの時代劇で見たことがあります。

年貢として取り立てられる米と違い、綿花は綿を栽培して糸に紡いで現金収入を得る換金作物でした。近畿地方で綿花栽培がさかんだったようです。

干鰯によって綿花の生産量が増えたことにより、綿花を材料とする木綿の生産量が増え、庶民の服が麻から木綿へと変わったそうです。

江戸のあかりとイワシ油

さて、江戸時代、庶民の照明器具は行灯(あんどん)でした。寒い冬、ほんのりともる灯りを見て、人々はほっとしたと思います。

行灯は、火の回りを紙を貼った枠で囲んで、火が消えないように工夫された照明器具です。行灯の中には、受け皿の上に油皿が置いてあり、布やい草などの灯心を油にひたして使ったそうです。

家では置き行灯を使い、丸行灯や角行灯など様々なデザインがあったようです。その他、家の入り口や軒先、柱や廊下などにかける掛行灯。商家の店先などに使う釣行灯などがありました。

行灯の燃料には菜種油と魚油(イワシ油)が使われていました。イワシの油は〆粕(しめかす)を作る工程(煮沸・圧搾)でできる油です。約4.5kgのイワシから300ml程度の油が採れたそうです。

〆粕(しめかす)は、生のイワシを窯で煮て油を絞って乾かしたもので、干鰯よりも価格が高かったそうです。

菜種油よりイワシ油の方が安く、庶民はイワシの油を使いました。臭いや煙が強かったようです。

当時、油は油売りの行商人が天秤棒で油桶をかついで売り歩き、お客さんが持ってきた升や油差しに柄杓で油を注いでいました。

油のしずくがきれるまでに時間がかかることから、その間油売りは、お客さんと世間話をして間を持たせました。「油を売る」という表現は、ここからきているそうです。

油売りは真面目に接客していただけだと思いますが。その様子が無駄話をしているように見られ、仕事をさぼっているというニュアンスで使われるようになったとは思わなかったです。

喜田川季荘 編『守貞謾稿』巻6,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2592395 (参照 2025-03-29)

油のコスト 

臭いがキツくて煙があるイワシの油を買った庶民。油代は今のお金に換算するとどの程度になるのか、調べてみました。

江戸は300年程続きましたが、その間、貨幣価値に変動がありました。そこで一般に目安とされる、江戸初期~中期の1両10万、1文25円、で計算したいと思います。

まず、単位からおさらいします。

1升の10分の1が1合  1合の10分の1が1勺
1升=1.8リットル(1800ml) 1合=0.18リットル(180ml) 1勺=0.018リットル(18ml) 

行商人から菜種油を買うと1合(180ml)41文。一文25円とすると1025円
1日4~5勺使ったそうですから、5勺とすると0.09リットル(90ml)で512.5円
1ヶ月2.7リットル(2700ml)615文で15375円

イワシ油
1合(180ml)13~14文。14文として一文25円とすると350円
1日 5勺(90ml)175円
1ヶ月2.7リットル(2700ml)5250円

菜種油は1日512.5円・1ヶ月15375円、イワシ油は1日175円・1ヶ月5250円、と菜種油の3分の1。1日200円でおつりがあります。庶民がイワシの油を買ったわけですね。

菜種油を使う客商売の宿や店などは、さぞ油代がかさんだことと思います。

江戸時代かけそば一杯16文。一文25円とすると400円。こちらも思ってたより高いです。調べたところ、現在立ち食いそば屋さんのかけ蕎麦は420~430円程度。さほど変わりませんね。

蝋燭(ろうそく)は高かった

さて、油代にそれほどお金がかかるなら蝋燭は?と思いました。時代劇のテレビでも、御店のご主人の外出時に、手代がろうそくの入った提灯を持って足元を照らしているのをよく見ます。

調べたところ江戸時代、ろうそくの値段は高かったようです。庶民がろうそくを使うのは主に持ち歩く時で、普段は行灯でした。

ろうそくの原料は櫨(はぜ)の木の実を搾ったエッセンス。ろうそくづくりはいくつも工程があり、技術が必要でした。原料が製品になるまで大変手間がかかったことから、貴重な品物として扱われ、また再利用されました。

江戸時代は物を大事にする精神があり、便利になった今の世の中、学ぶべきところがたくさんあります。

また、海で獲れたものを畑の肥料にするとは、思いつかないことです。目の前の課題に対して、いろいろ試したのだと思います。そのような姿勢も見習って仕事したいと思います。

 

(参考)
・イワシ dメニューニュース(朝日新聞) 
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/asahi_region/business/asahi_region-ASSDW4RGPSDWUDCB004M
・イワシ FNNプライムオンライン   https://www.fnn.jp/articles/-/841873
・イワシ スポニチアネックス 
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2025/02/14/kiji/20250214s00041000096000c.html
・日本人の生活を変えたイワシ 豊海おさかなミュージーアム
https://museum.suisan-shinkou.or.jp/guide/iwashi-world/3506/
・イワシ漁のあゆみと食文化 http://bunka-isan.awa.jp/News/item/000/170/ul1218152721.pdf
・コラム江戸 クリナップ  https://cleanup.jp/life/edo/55.shtml
・イワシの油 http://www.oceandictionary.jp/scapes1/scape_by_randam/randam22/select2253.html
・江戸のあかり 東京油問屋市場 https://www.abura.gr.jp/contents/shiryoukan/rekishi/rekish39.html
・行灯の明かりと庶民の暮らし https://www.abura.gr.jp/history2016/edo-akari_col05.pdf
・江戸のお金について 深川江戸資料館
https://www.kcf.or.jp/cms/files/pdf/original/30977_%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88149%E5%8F%B7.pdf