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江戸も昭和も、冬はコタツと火鉢

皆さま、こんにちは。2月に入ってから寒い日が続きました。ここ和歌山県紀美野町も、最低気温が氷点下2℃になる日もあり、何度か雪が降りました。

うっすら積もる程度でしたが、日中も陽はささず厚い雲に覆われ、外に出ると北風にさらされ、5℃以下の寒さで凍えそうな日が続きました。

裏起毛のズボンやあったか下着を履いて寒さをしのぎました。

温暖な気候の和歌山ですが、会社から車で1時間の所にある高野山など山間部は、冬場はいつも雪が積もっています。高野山の1月の平均気温はマイナスです。

先日の雪の時、我が家の水道は幸い凍らなかったですが、マイナスとなるといろいろ備えます。蛇口や水道管にタオルを巻いたり、ちょろちょろと水を流したり。

外に置いてある洗濯機で洗濯しようとしたら、洗濯槽が凍って回らなかったという話も聞いたことがあります。

寒冷地にお住まいの方は本当にご苦労なことです。さらに昔の人は厳しい寒さに耐えての暮らし、どれほど心細かったかと思います。

だるまストーブと練炭火鉢

私が小学生の頃の昭和30年代、我が社の古い工場では大きな石炭ストーブ、だるまストーブを使っていました。だるまストーブは鋳鉄製の大型ストーブで、当時、駅の待合室や学校の教室で使用されていました。

当時工場で使っていたストーブは、下の写真ようなタイプだったと思います。

写真:旧北海中学校の石炭ストーブ  北海道開拓の村 ストーブめぐり 一般財団法人北海道歴史文化事業本部

冬場は毎朝、祖母が杉の葉や木のくずで火を起こしていました。工場の真ん中に設置したストーブの長い煙突が、壁穴を通って外へ伸びていました。

祖父母は八百屋さんでした

その頃、祖父母は地元野上町(のかみちょう)で八百屋さんを営んでいました。八百屋さんと言っても、野菜や果物の他、調味料・乾物・お茶・お魚・お菓子等の一般食料品、生活用品など、幅広く取り扱う小さな商店でした。

私は、その頃まだ走っていた野上電鉄の八幡馬場駅から電車に乗って学校へ行き、帰りも駅から祖父の店に直行。祖父と過ごしていました。

画像:YouTube 野上電鉄1993年(テレビ猪名川アーカイブス)より

野上電鉄

野上電鉄(野上電気鉄道)は、1916年(大正5年)から1994年(平成6年)まで、和歌山県海南市の日方駅と生石高原の登山口駅間11.4㎞を運行した鉄道です。JR紀伊本線の海南駅ができたのは、8年後の1924年(大正13年)。

当時、和歌山特産品のタワシやのロープを、港のある日方町(現 海南市)へ運ぶために開業されました。1、2両の車両で走り、乗車時間も5~10分程度でしたが、私は小・中・高と、毎日電車に乗って通学しました。

日方駅から紀伊野上駅までは、数カ所の鉄橋を通って田園風景が。紀伊野上駅を出ると清流貴志川に沿って走り、ちょっとした渓谷が見られました。

そして橋梁(きょうりょう)を渡り、登山鉄道の景色になり、登山口に到着しました。

長年地元の足として利用されてきましたが、経営悪化で運行終了になりました。現在、路線跡は健康ロード、歩道、国道になっています。

練炭火鉢

祖父の家の暖房は練炭火鉢。玄関土間から上がってすぐの所に置いてあり、暖かさは今の小型電器ストーブと同じくらいでした。

その頃、まだ石油ストーブはそれほど普及してなかったと思います。家庭に石油ストーブが普及したのは1960年代になってからのようです。

祖父がガスで練炭に火を付け、火がついたら練炭ばさみで練炭コンロに入れます。そして、練炭コンロを火鉢の中に入れ、使っていました。

火鉢の下の方に小窓があり、小窓の飽き具合で火加減を調節していました。練炭をセットすると丸一日はもったと思います。

隙間風のふく昔の木造の日本家屋でしたから、一酸化炭素中毒についてもそれほど神経質ではなかったです。

やかんでお湯を沸かしたり、鍋を使う時には、火鉢の上に五徳を置いて使っていました。

網を置いてかき餅や酒粕を焼いて食べたり、祖父はよくお燗を付けていました。

チロルチョコ

ところで皆さんはチロルチョコご存知でしょうか。1962年(昭和37年)の発売から63年のロングセラー商品。当時は一個10円で買えるチョコレートとして、とても流行りました。

その頃私は、チロルチョコの包紙を半分はいで手でつまみ、チロルチョコを練炭火鉢の上にかざしたり、火鉢の縁に載せたりして、いいころあいに溶けたのを食べるのが好きでした。

発売当初は一粒チョコを3つ連ねた形をしていたそうですが、10円からのスタートがオイルショックで20円に。その後30円に値上げしたものの、3つを1つにして10円に戻したそうです。

先日スーパーの菓子コーナーを探したところ、まだ販売されており、現在は1個30円程度でした。

豆炭コタツ

火鉢の他、我が家では湯たんぽがわりに豆炭コタツを使っていました。一般には「豆炭あんか」ですが、我が家では「豆炭コタツ」と言っていました。

穴の開いた鍋に豆炭1個を入れてガスで火を付け、器具に入れて蓋をし、布袋に入れます。冬場は毎日母が豆炭コタツを用意し、布団の中に入れて使っていました。

足元だけではなく、布団全体が温まりました。

当時我が家で使っていた物とは違いますが、下の写真のようなタイプです。我が家のあんかは丸型で布袋はビロードでした。

画像:豆炭あんか ミツウロコ

昭和30年代のコタツは、豆炭コタツでした。見た目は電器コタツと同じですが、コタツの熱源の箱部分に、豆炭の入った火床(燃焼器)をセットして使います。

火床には断熱材が入っており、24時間ぐらいはもったと思います。

画像:独立行政法人製品評価技術基盤機構 製品安全センター

あんかの中に入れる豆炭、コタツの中に入れる豆炭は、数が違うだけで構造は同じです。あんかの方には豆炭が1個。コタツの方には豆炭は10個程度まで入ったかと思います。

我が家では豆炭を使う暖房器具を「豆炭コタツ」と認識していたと思います。

江戸時代の暖房

昭和30年代頃は暖房に火鉢やコタツを使っていましたが、それは江戸時代も同じでした。

江戸時代の暖房は、囲炉裏・火鉢・コタツ。昭和30年代の燃料は石炭ですが、江戸時代の燃料は薪(たきぎ)、木炭や木炭を加工した炭団(たどん)でした。

江戸では火の扱いが厳しいため、火鉢とコタツ。薪(たきぎ)と木炭を使う囲炉裏は、農村で利用されたようです。

コタツには堀りごたつと、移動可能な置きごたつが。火鉢は四角や丸型、金属製や木製、陶器などで作られ、いろんな意匠の火鉢があったようです。

時代劇のテレビによく登場するのは長火鉢で、下に引出しがあったり、鉄瓶を置いてお湯を沸かしたりしたようです。

一勇斎国芳『つじうらをきく』,伊場久. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1309282

防寒着には、綿入れのどてら(=丹前)・半纏(はんてん)を着て、女性は袖頭巾(=御高祖頭巾、そでずきん・おこそずきん)を被って、凍てつく冬の寒さをしのいだそうです。

一猛斎芳虎『隅田川雪見』,美の. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1307786

江戸は燃料に木炭を、昭和30年代頃まで石炭を燃料に、コタツと火鉢で寒さをしのぎました。

石油・電気・ガスに恵まれ、スイッチひとつで部屋全体が暖かくなる今、災害時の暖房器具として、練炭コンロ・豆炭コンロ、それらを使ったコタツやあんか等が見直されています。

子供の頃、練炭火鉢を囲んで祖父と楽しい時を過ごしました。寒い冬の夜、母が布団に豆炭コタツを入れてくれると心も温まりました。

練炭火鉢も豆炭コタツも、冬場のいいコミュニケーションツールだと思います。

(参考)
・北海道開拓の村 ストーブめぐり 写真:旧北海中学校の石炭ストーブ 一般財団法人北海道歴史文化事業本部 
https://www.kaitaku.or.jp/assets/pdf/about/ws2020stove.pdf
・YouTube 野上電鉄1993年(テレビ猪名川アーカイブス)
https://www.youtube.com/watch?v=I551KJbEfkA
・乗り物ニュース 野上電鉄 https://trafficnews.jp/post/124221
・日本ロングセラー考 チロルチョコ NTTCOM
https://www.nttcom.co.jp/comzine/no067/long_seller/index.html
・ミツウロコヴェッセル  
https://www.mitsuuroko-vessel.com/business/energy/
・独立行政法人製品評価技術基盤機構 製品安全センター 豆炭コタツの構造
https://www.nite.go.jp/jiko/chuikanki/specialnews/news084.html
・suumoジャーナル 江戸時代の暖房器具
https://suumo.jp/journal/2015/10/26/99367/#:~:text=%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9A%96%E6%88%BF%E5%99%A8%E5%85%B7,%E3%82%92%E5%87%BA%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82
・一勇斎国芳『つじうらをきく』,伊場久. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1309282
・一猛斎芳虎『隅田川雪見』,美の. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1307786

正月はインフルエンザに大当たり

皆さま、こんにちは。今月は出だしからインフルエンザにかかってしまいました。

年末の忘年会に参加して、3日目の大晦日の夜から何となく具合が悪くなり、熱を測ると38.5度。
人生初、元旦に病院へ行ってきました。

新聞で年末年始の当番医を探し、事前に電話したところ、もしインフルエンザなら今は吸入用の薬しか在庫がない、飲み薬がいいなら隣の海南市の調剤薬局にある、とのことでした。

タミフル等インフルエンザ治療薬が不足していて、一部供給を一時停止しているというのは、テレビや新聞等を見て知っていました。

が、その他の薬についてはよく知らず、その時は吸入タイプの薬?と言われてもピンときませんでした。

人生初、元旦に病院へ

早速、車で5分もかからない紀美野町内の病院へ行ってきました。数名の患者さんがいらっしゃいましたが、それほど待たず検査へ。

5分後、インフルエンザと診断されました。11月にインフルエンザ予防接種をしたのですが・・・。

それから車で15分程の所にある海南市の調剤薬局へ行き、飲み薬を貰ってきました。ゾルフールという薬でした。

その後、新聞でインフルエンザ治療薬がいろいろあると知りました。吸入用の薬はイナビル、一時供給を停止していたのはタミフルの後発薬(ジェネリック医薬品)でした。

薬が効いたのか、翌日には37度近くまで熱が下がり、3日後にはほぼ元通り元気になりました。

具合が悪かったのは病院に行く前日の大晦日の夜、元旦、二日ぐらいでした。幸い母にもうつらず良かったです。

インフルエンザは潜伏期間が1~3日と短いのが特長だと聞いてはいましたが、実際インフルエンザになってみてよくわかりました。

29日 忘年会に参加
30日 忘年会に参加した友人からインフルエンザにかかったと連絡あり
31日 夜から発熱(38.5度)
1日 病院でインフルエンザと診断される、薬(ゾルフール)を飲む
2日 熱が37度まで下がる
3日 食欲が戻る
4日 ほぼ元どおり元気になる

検査にもタイミングがあった

今回、インフルエンザの検査にはタイミングがあると知りました。症状が出始めてから12時間~48時間以内が検査のタイミングだそうです。

ウイルスが検査に必要な量まで増えるのに12時間程かかり、48時間以降はウイルス排出量が減るため、陰性となる可能性があるそうです。

また抗インフルエンザ薬は、症状が出始めてから48時間以内に飲むと効果を発揮するそうです。

私は大晦日の夜に熱がでて、元旦に病院で検査しました。12時間経っていましたから、検査のタイミングも薬を飲むタイミングも、ちょうどよかったようです。

インフルエンザは辛い・・・

私の場合病院での検査も、薬の受取りも、治りも、全てスムーズでしたが、ある友人は、病院へ行って診察前の検査だけで3時間もかかったそうです。具合の悪い時に、本当に気の毒です。

私は運転して病院と薬局へ行くことができましたが、熱が出て具合が悪くて病院にも行けず、寝込んだ人もたくさんいると思います。

東京近郊にいる友人の話ですが、ご主人が突然頭痛と悪寒がして、風邪だと思い病院に行ったところ、検温して熱がないからインフルエンザではないだろうと診断され、風邪薬を貰って帰宅。

翌日には友人の具合が悪くなり(うつった)、熱を測ると39度。そのうちご主人も熱がでて、二人で数日寝込んだそうです。3日もお風呂に入れなかったと言っていました。

風邪の症状で熱がある場合、都会では発熱外来に予約してから行くようになってるそうですが、熱がでて具合が悪くなると、予約したり病院へ行くことは実際難しい、と言っていました。

特効薬はない

風邪もインフルエンザもコロナも初期症状はほぼ同じように思います。インフルエンザの場合、抗インフルエンザ薬でウイルスを抑えることはできるようですが、どれもすぐに治る薬はないようです。

昔から風邪を治す薬はないと言われてきましたが、それで症状を緩和する対症療法がとられているわけですね。

昔から風邪予防には番茶や塩水でうがい、風邪をひくと頭を冷やして水分補給、卵酒、生姜湯、甘酒、みかん等取り入れてきました。

病院に行けずに寝込んだ友人も、最初だけ解熱剤を飲み、頭を冷やして、生姜湯やスポーツドリンクを飲んで水分補給し、1週間後には元気になったそうです。体が自力で治していると思います。

お雑煮の残りでおじや

さて、元旦は野上八幡宮への初詣が病院に、おせち料理がお雑煮の残りで作ったおじやになりました。

我が家は普段さらさらの茶粥を食べていますが、病気の時は白かいさんかおじやです。

我が家のお雑煮は、青身大根、里芋、金時人参、油揚げ、丸餅をいれ、普通の味噌に白味噌を合わせます。

青身大根(あおみだいこん)は和歌山の伝統野菜で、キュウリよりひとまわりの大きさの細い大根です。主に正月の雑煮用として使われ、年末になるとこの辺りでは店に並びます。

関西エリアで使われているようで、祝い大根、雑煮大根とも言うそうです。

野上八幡宮 えびす様へお参り

さて毎年お正月には、商売繁盛を願って、地元野上八幡宮のえびす様へお参りに行きます。

野上八幡宮は、応神天皇、神功皇后、玉依姫命を祀った由緒ある神社です。朱塗の鮮やかな本殿や入母屋造りの拝殿などは、国の重要文化財に指定されています。


私のインフルエンザのせいで延期になっていましたが、11日に役員3人でお参りにいってきました。まずは野上八幡様の拝殿前でお参り。

野上八幡様にお参り後、忠魂碑(ちゅうこんひ)の横の階段を上って恵比寿神社にお参りしました。左がえびす神社、右側に祇園神社が並んでいます。

えびす様は、漁業の神、商売繁盛の神、五穀豊穣の神として有名な「七福神」のお一人です。
右手に釣り竿、左手に鯛を抱えています。

全国のえびす様を祀ってる神社では、毎年1月9日・10日・11日の3日間「恵比須祭」を開催しています。

「十日戎(とおかえびす)」、「えべっさん」とも言います。関西、西日本では親しみのある十日戎(とおかえびす)です。

野上八幡宮も、毎年1月9日・10日・11日の3日間は商売繁盛を願って、多くの参拝客が訪れます。

9日は宵戎(よいえびす)、10日が本戎(ほんえびす)、11日が残戎(のこりえびす)。ちょうど残りえびすの日でした。

縁起物に、笹、箕(み)・熊手があり、漁業の神「えびす様」と農業の神「大黒天様」がセットになっている熊手を買いました。

毎年縁起物を買った後にのし飴を頂いています。のし飴は紅と白でできた棒状の福飴で、ねじった形の棒状は延命飴とも呼ばれており、長寿の意味が込められているそうです。

えびす様と言えば

さて、えびす様を祀る神社は、日本全国に3500ほどあるそうです。その中で日本三大えびす神社とされているのが、西宮神社(兵庫県)、今宮戎神社(大阪府)、京都ゑびす神社(京都府)です。

中でも西宮神社はえびす神社の総本社。毎年テレビのニュースで報道される「福男選び」で有名です。

また、毎年「招福まぐろ」を拝殿に飾り、商売繁盛を願って参拝客がまぐろにお賽銭を貼り付けることでも知られています。

なぜまぐろなのか?調べてみました。

なぜマグロ?

西宮神社のホームページによると、昭和44年当初、神戸市東部水産物卸売協同組合などが中心となり、大漁と商売繁盛を願って魚の奉納を計画。

翌年の昭和45年から、大ぶりで形のよい本マグロ、雄雌二尾の大ダイ、を奉納しているそうです。

参拝者に見て貰うために日本人好みの大きな魚として鮪と鯛、になったそうです。まぐろだけじゃなかったんですね。

まぐろにお賽銭を貼り付ける風習についても調べてみました。

神戸新聞の記事によると、マグロが大きすぎて本殿に置けず、参拝客の手の届く拝殿に備えられたところ、いつからか参拝客がお賽銭のつもりでマグロにお賽銭を置くようになったそうです。

凍ったマグロにお賽銭を乗せても落ちないことから、お金が身につくという縁起物になっているようです。

本年も漁業にたずさわる皆さんの安全と豊漁を願って、合羽をつくります。

(参考資料)
・大正製薬 かぜお役立ちコラム 普通のかぜとインフルエンザ、新型コロナはどう違うの?
https://brand.taisho.co.jp/pabron/kaze-ken/kaze-tigai/
・ウェザーニュース 
西日本では常識?商売繁盛を願う”十日戎”とは
https://weathernews.jp/s/topics/201901/080065/
・西宮神社 年中行事・祭典
https://nishinomiya-ebisu.com/event/event01.html
・神戸新聞NEXT 
十日えびす、何で大マグロに硬貨を張るの? 参拝客が始め、関西一円へ
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202001/0013018236.shtml

新年のご挨拶

謹んで新年のお慶びを申し上げます。
昨年中は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。

今年は、会社設立50年となります。
ひとえに皆様の変わらぬご支援とご厚情に、深く感謝申し上げます。

社員一同心一つに、より良い製品づくりに全力で取り組んで参りたいと思います。

本年も変わらずご指導お引き立てのほど、お願い申し上げます。

皆様にとりましてより佳き年でありますよう、ご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

 

株式会社 久保製作所
代表取締役社長 
久保真由巳

そばの繋ぎ

皆さま、こんにちは。早いもので今年も残すところあとわずかとなりました。
日本にはいろんな年越しそばがあります。そばひとつとってみても十割そばに二八そば、そば殻入りの黒ぽい田舎そばに白っぽい更科そば、と様々です。

そばも様々

先日、十割そばを頂いて食べました。十割というとどんなにボソボソかと思いきや、香りも食感もよく、とても美味しかったです。

繋ぎを使わない粘り気のない十割そばの製造には、高度な技術がいるそうです。

そばの実を石臼で丁寧に挽き、水を加えて延していくそうです。この工程を何度も繰り返すことによってボソボソしない、切れない、十割そばができるそうです。

もちろん今は機械打ちですが、目指すところは手打ちそばの食感だと思います。

さて、二八そばは蕎麦粉8割に小麦粉2割を加えて混ぜられた内二(うちに)のそば。

繋ぎには小麦粉や自然薯が使われることが多いですが、豪雪地帯として知られる新潟の魚沼地方の十日町や小千谷では布海苔(ふのり)が使われ、「へぎそば」として知られています。

剥ぎ板で作った四角い器をへぎといい、へぎにそばを盛り付けて食べられていたのが名前の由来です。

小千谷や十日町は江戸時代から続く織物の一大産地。織物に使う糸ののり付けや洗い張りに使われたのが布海苔だったそうです。

布海苔は北前船で北海道や東北から新潟湊へ持ち込まれ、信濃川の登り船で内陸の十日町や小千谷に運ばれてきたとされています。

かつては山ごぼうの葉や自然薯を繋ぎに使っていたのが、身近にあった布海苔を使うようになり、独自の「へぎそば」が誕生したそうです。

スタッフが新潟から繋ぎに布海苔を使ったそばを取寄せ、茹でてへぎの代わりにざるに盛り付けてみました。

へぎそばのように一口ずつ綺麗に盛り付けようとしたところ、かなり難しかったようです。弾力があり、つるっと喉ごしのよいそばだったそうです。

お取り寄せ 吉雪そば(新潟県小千谷市)

なお、薬味は魚沼地方ではわさびが採れなかったため、代わりにからしが使われたそうです。地元の店ではわさび・からし、どちらも提供しているようです。

わさびは新潟のような水の綺麗なところに自生すると思っていましたが、豪雪地帯は難しいのでしょうか。

なぜそばの繋ぎにしようと思ったのか

ところで、長野県飯山市にある「富倉そば」は、そば粉十割で、繋ぎにオヤマボクチというキク科の多年草植物の繊維を使うことで知られています。

調べたところオヤマボクチは山ごぼうのことでした。新潟の魚沼地方でも、布海苔を使う前までは山ごぼうの葉を使っていました。長野と新潟は隣。

山ごぼうの葉の繊維を繋ぎに使うのには大変な手間と時間がかかるそうです。

葉の繊維を柔らかくなるまで煮て、天日干しで乾燥させることを何度も繰り返し、1kgの葉から取れる繊維はわずか4~5gほどだそうです。

なぜそんなに手間のかかる山ごぼうの繊維をそばの繋ぎにしようと思ったのでしょうか。

オヤマボクチの写真をネット検索して見たところ、葉の裏に白い綿毛がびっしり生えており、その綿毛をそばの繋ぎにしようと思ったのかもしれません。

なぜ布海苔をそばに入れてみようと思ったのでしょうか。身近にあったからいっちょ入れてみるか、となったのかもしれません。

考えて見ると、世の中に誕生している様々なものは、全て身近にあったから使ってみた、のパターンが多いのかもしれませんね。

製品価格見直しについて

さて、先日郵便料金が上がりました。84円切手に慣れてきたと思ったら、また変わるとは残念です。

調べたところ、手紙もはがきも1994年から二十年、一度も値上げしてなかったことがわかりました。

手紙料金は2014年に2円上がり、2019年にまた2円上がり、そして今回2024年に26円上がりました。なぜ2円にしなかったのかと思いましたが。

さて、当社も製品供給の安定化を維持するために、製品価格の見直しを決断しました。

水産合羽は主材料の生地を含め、30以上ものパーツから成り立っています。

パーツは主材料の生地のように弊社がメーカーにオーダーした特注品を含め、それぞれメーカーから取り寄せています。

これらのパーツを工程順に職人が一つ一つ丁寧に手作業で溶着・縫製し、ウェアを製造しています。

主材料生地
副材料ミシン糸、ウエストゴム、袖口ゴム、脇ゴム、タフタ、水止めテープ、接着テープ、ファスナー、面ファスナー、肩つりバンド、ワンタッチバックル、3本線バックル、背カン、アイレット、ハトメ(フードひも通し)、カシメ、プラホック、フードひも、サイズネーム、製品名マーク、転写マーク、ワッペン、長靴
付属品黒平ゴム、赤平ゴム、補修布
補助材料包装袋、化粧箱、製品チラシ


2022年に価格改定をお願いし、弊社も合理化への努力に取り組んでまいりましたが、
主材料である生地代の値上げに苦慮し、自助努力のみでは如何ともし難くなりました。

つきましては、誠に不本意ではございますが、来年より価格改定をお願い申しあげたく存じます。

何卒諸事情ご賢察の上、ご理解とご了承賜りますようお願い申し上げます。

現在、価格高騰の影響を直接受けないように生地を入手する環境を模索中です。

丈夫で軽くて長持ちする久保の合羽がいい!とご指名頂けるよう、これからも努力いたします。

今年も一年お世話になり、ありがとうございました。どうぞよい年をお迎え下さい。

(参考資料)
・十割そば https://delishkitchen.tv/articles/2487

・織物由来の海藻をつなぎに のどごしよい「へぎそば」(ミツカン)
https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no76/09.html

・オヤマボクチ(日穀製粉株式会社)
https://www.nikkoku.co.jp/entertainment/glossary/post-59.php

・小千谷名物へぎそば -小千谷の魅力を発信-
https://youtu.be/p8sJrFYqqYw?si=4LqZ9lWETnD2_dgy

・富倉そば(温泉ぱらだいす信州)
https://nagano.onpara.jp/info/1206000145.aspx


冬期休業のお知らせ

お客様各位

平素より弊社製品をご利用頂き、ありがとうございます。

下記の期間を冬期休業とさせていただきます

休業期間中はご不便をお掛けいたしますが、
何卒ご了承下さいますようお願い申し上げます。

【休業期間】
2024年12月29日(日)~2025年1月5日(日)
※1月6日(月)より通常営業

暮らしとカレー

皆さま、こんにちは。今年は猛暑でみかんの色づきが遅れていましたが、急に冷え込みが進んで色づきました。

昨年より3週間ほど遅くなりましたが、和歌山のみかんをお送りできるようになりました。

今年は夏の猛暑や大雨により、全国的に野菜や果物に栽培の遅れ、病害虫被害など、例年よりできのよくない作物があるようです。

和歌山では柿が不作で、3割ほど数が少ないそうです。やっと今年初の富有柿を頂きましたが、例年の柿より若干甘みがなかったように思います。

不作とはいえ、あれほどの猛暑でよく育ったと思います。野菜・果物のたくましさと、農家さんの頑張りに感謝!

お家のカレーコスト高

先日東京近郊の友人に、今時はカレーを作っても材料費が二千円近くになる、西の方は牛肉を使うから大変だね、と言われました。

確かに我が家のカレーは昔から牛肉。豚肉を使ったことはないです。関東、東日本ではカレーのお肉に豚肉を使うことは知っていました。

私が豚肉を使う料理と言えば、焼きそば、お好み焼き、生姜焼き、豚汁。肉じゃがには牛肉です。

友人によると、東京近郊で牛肉を使ってカレーを作るのは、だいたいが西日本出身の人だそうです。

いくら東日本が豚肉文化とは言え、焼肉やレトルト・外食のビーフカレーを食べますよね。お家のカレーに牛肉は合わない、と思っているわけではないと思います。

牛肉の価格が高いというのがあると思います。家賃から物の値段まで全部が高い関東では、庶民の味方、カレーのお肉にまで費用はかけられない・・・ということではないか?と私は思います。

カレーライスや肉じゃがのお肉もそうですが、いつからお肉と言えば東日本=豚肉、西日本=牛肉、になったのでしょうか。

いつからお肉と言えば東日本=豚肉、西日本=牛肉?

調べたところ、『チコちゃんに叱られる』という情報番組で放送される等、ネット上ではこのテーマがかなり話題になっていました。

複数の情報によると、歴史を見ると西は公家社会、東は武家社会、それぞれの暮らしを手伝う動物に由来していることがわかりました。

飛鳥時代から平安時代の都は西の奈良や京都で、公家社会。公家は農耕や移動に牛を利用していました。

その後の鎌倉時代から政治の中心は東の鎌倉や江戸で、武家社会。馬は武士の移動や戦に利用され、農業にも利用されていました。

牛が東日本に広まらなかったのは、川がある等、地理的に運ぶのが難しかったからのようです。

飛鳥時代から明治時代まで、日本は仏教の影響で肉食が禁忌されるようになっていましたが、山間部では貴重な食料として、江戸の町では肉を使った鍋料理屋があったようです。

江戸時代末期に開国後、肉を食べる文化が入って一般に広まりました。

横浜に牛鍋屋が開店。福沢諭吉が牛肉は滋養によいと言ったこともあって牛鍋が流行したそうです。

豚の登場

明治以降、日清・日露戦争で軍の食料に牛肉の缶詰が採用され、東日本の牛肉が品薄に。

馬肉は量が取れず肉質が固いことから、食用になり難かったようです。軍が移動に使っていた、というのもあったと思います。

代わりに豚が飼育されるようになりました。

豚肉の起源は中国から琉球(現 沖縄)に、江戸時代に琉球から薩摩藩へ伝わったとされています。

雑食性で都市部の残飯を食べ、飼育期間が六ヶ月で繁殖力もある豚は、終戦後も東日本に広まりました。

ポークカツレツ、カツ丼、カツカレーなどの豚を使った料理が誕生しました。

牛の文化が定着している西日本には、豚の入り込む余地がなかなかなかったそうです。

戦争時、東日本に首都があったことから、豚肉文化が広まったと言えます。

カレーライス物価指数

さて、お家カレーのコストの話に戻ります。

お米の値上げにはじまり、カレーに欠かせないじゃがいも・玉ねぎ・にんじん等、普段使いの野菜もこれまでより値段が上がっていると思います。

調べたところ、カレーライス1食当たりのトータルコストを表わす「カレーライス物価指数」という指標がありました。

帝国データバンクの調査によると、米の価格高騰が影響して、お家で作るカレーのコストは一食あたり364円(2024年9月現在)と、過去最高になったとのことです。

カレーライス物価を構成する費用 内訳 (2024年9月)(株式会社帝国データバンク)

カレーライスで使用する原材料や、調理にかかる水道光熱費などを独自に試算した指標ですが、具材はにんじん・じゃがいも・玉ねぎ・牛肉(輸入)・米で計算されていました。

きのこ類などその他の具材、コショウやローリエなどのスパイスは含まれていません。これらを入れると若干上がりそうです。

我が家のカレーの材料は毎度同じです。
・ルウ ジャワカレー、インドカレー(インドカレーがなければバーモントカレー)
・牛すじ肉か牛切り落とし肉
・玉ねぎ
・人参
・じゃがいも
・なす、トマト(夏)

やっぱり、お米の値上げが庶民にはかなり痛手です。

我が家は長年、お米は近所のお米屋さんで買っていましたが、海外から来ている技能実習生の要望もあって、時々町内の農家さんからご近所価格で分けて貰っています。

お米屋さんで買った新潟産や茨城産など、米所で有名な産地のお米は猛暑の影響か、今年は粒が小さかったです。

手作りカレーとレトルトカレー

さて、家カレーの材料費のトータルコストが上がったことで、レトルトの方がいいという方もいるかもしれません。以前、レトルトが家カレーを上回ったという記事を見ましたが、最近の傾向はどうなっているのか。調べて見ました。

マイボイスコムが2022年8月に実施の「カレーに関するアンケート調査」によると、自宅で作ったカレーを食べる人が8割でした。

Q どのようなカレーを食べますか?(複数回答)

自宅で作ったカレー 79%
レトルトカレー  56.7%
外食 25.6%

マイボイスコム『カレー』に関するインターネット調査
【回答者数】10,189名 2022年8月1日~5日

ぐるっぱが2024年9月に実施の「カレー」についてのアンケート調査によると、ルウがレトルトを上回っていました。

Q ルウ?レトルト?どっち派?

ルウ   63.1%
レトルト 26.8%

ぐるっぱ『カレー』に関するアンケート調査
【回答者数】1,588名 2024年8月26日~9月1日

いろんなレトルトカレーが出回っている中、お家でカレーを作っている人が多いことがわかりました。

レトルトカレーいろいろ

さて、皆さんはレトルトカレーと言えば何が好きですか?我が家は昭和の頃からボンカレーです。
今はリッチなカレーからご当地カレーまで、様々なレトルトカレーがお店に並んでいますね。

家庭では作れないような本格カレーや珍しいカレーを味わえることから、ご褒美として買う人も多く、高価格でも人気のようです。

そんな中でも、昭和の頃に生まれたレトルトカレーはしっかりとお店に並んでいます。

世の中が変わらない味を求めていることがわかります。

世界最長寿商品ボンカレーは発売から56年目になるそうです。

たまに近くのローソンさんで無印良品さんのレトルトカレーや日清さんのカレーメシを買うこともあります。

手軽に食べることができて、なかなか美味しいです。

和歌山のレトルトカレー

さて、和歌山の有名なレトルトカレーをご紹介します。

欧風ビーフカレー・熊野牛カレー (島精機製作所さん)
和歌山が誇る世界一のニット編み機メーカー島精機製作所さん(飲食事業部門)の、知る人ぞ知る、本格欧風ビーフカレーです。

弊社が島精機製作所さんの機械を使用している関係で、お土産にレトルトカレーを頂いたのがきっかけでした。コクがあってスパイスが香るカレーです。

また食べたくなって、和歌山市内にあるお店にも行ってきました。ビーフカレー(1,500円)。トッピングには福新漬け、らっきょう、ガラムマサラ、チャツネがあったと思います。

メニューに「熊野牛カレー」という和歌山県産熊野牛を使ったカレーがありました。お店で食べると二千三百円、レトルトカレー1袋千三百円もしますが、食べてみたいですね。

その他私は食べたことがないですが、和歌山産山椒を使った「山椒カレー」があります。和歌山は日本一の山椒の産地です。ピリッとした辛みがあって、なかなか美味しいそうです。

紀美野町のカレー屋さん

弊社から車で5分程度の所に海南市方面が一望できるふれあい公園があります。公園の中のふれあい館の中に入って居る、地元で評判のカレー屋さん『Kimino’s Cafe』さんに行ってきました。

お店はこじんまりしたエスニック風のインテリアのお店でした。お昼時だったのでお店には結構お客さんが入っていました。


私は欧風ビーフカレーを頂きました。コクがあってスパイシーで美味しかったです。
ご飯は本場の固めのライスかと思ったら、普通の日本のライスでした。

トッピングコーナーがあり、2種類トッピング。
一つはアーモンドチップだと思ってトッピングしたところ、食べるとガーリックチップでした(笑)

もう一つは鰹の佃煮。カレーに鰹の佃煮?と思いましたが。醬油ベースにピリッとした辛みがあり、白いご飯にのせて食べると美味しかったです。

11月下旬は鳥取、九州・四国へ出張等でバタバタでした。
たまには休みの日に来て、ゆっくりとチャイを飲みたいと思います。

(参考)
お肉と言えばなんで西日本は牛肉で東日本は豚肉なの?
https://チコちゃんに叱られる.com/10974.html

日本経済新聞 2017年2月17日 5:40
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO12714730Z00C17A2W02001/

雑学ネタ帳 https://zatsuneta.com/archives/007080.html

日本食文化の醬油を知る
http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/edo-reference16d.html

カレー物価指数(2024年9月)帝国データバンク
https://www.tdb.co.jp/report/economic/ddoc33oej/

プレスリリース【カレーに関する調査】マイボイスコム 2022年9月
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001231.000007815.html


さつまいもブームと吉宗公

皆さま、こんにちは。秋の味覚の美味しい季節になりました。先日もご近所さんから、畑で採れたさつまいもの天ぷら、焼き芋、栗ご飯を頂きました。

オーブンでじっくりと焼いたという焼き芋は、香ばしくて甘くて美味しかったです。焼き芋のよさは、甘くて美味しいことと、香ばしい香り。



スーパーやコンビニの入り口に焼き芋機が置いてありますが、辺りに焼き芋のいい香りが漂って、広告より効果がありますね。香りのマーケティングといったところでしょうか。

調べたところ、焼き芋の香ばしい香りは、加熱による糖とタンパクやアミノ酸の反応で、メイラード反応と言うそうです。

ホットケーキやクッキー、お肉やお魚の茶色い焼き色や香ばしい香りも、メイラード反応によるものだそう。

ご近所さんの話では、採れたさつまいもを天ぷらにすると甘みが足りず、焼き芋にしたところ甘くなったとのこと。食べて見ると確かにその通りでした。

同じさつまいもでも、焼き芋にするとなぜ甘くなるのか、調べて見ました。

甘味成分 麦芽糖(ばくがとう)

日本いも類研究会の「おいもQ&A」によると、焼き芋が甘くなるのは、

さつまいもを加熱するとでん粉(糖質)が糊化する 

糊化したでん粉の温度が70度前後になると消化酵素(β-アミラーゼ)がでん粉に作用

甘味成分 麦芽糖(ばくがとう)ができる

という仕組みのようです。70度前後で麦芽糖(ばくがとう)ができ、甘くて美味しい焼き芋になることがわかりました。

消化酵素(β―アミラーゼ)は75~85度以上で作用しないそうです。

だから、高温で短時間加熱の天ぷらは甘みがでず、ゆっくりと時間をかける焼き芋は甘みが強くなるわけですね。

さつまいもブーム

おかずからお菓子までいろいろな食べ方があり、老若男女に親しまれているさつまいも。ここ数年、さつまいものイベント、焼き芋専門店、さつまいもスイーツが話題になる等、さつまいもブームが続いています。

背景には、さつまいもの品種改良が進み、糖度が高まって食感もねっとりする等、いろんな種類のさつまいもが増えてきたことにあるようです。

安納芋が流行るまで、さつまいもと言えば、鳴門金時紅あずまでした。家庭では焼き芋より、手っ取り早く蒸かし芋を作っていたかと思います。

いつ頃からか、安納芋ブームがあって丸い形の安納芋がスーパーに並ぶようになり、今は紅はるかシルクスイート等、いろんな種類のさつまいもが並んでいます。

  

鳴門金時長紡錘形。果皮は紅色、果肉はクリーム色。ホクホク。上品な甘み。
ベニアズマ長紡錘形。果皮は濃赤紫色、果肉は黄色。ホクホク。上品な甘み。
安納芋丸い形。果皮は褐紅色、果肉は赤っぽいオレンジ色。加熱すると濃い黄色に。
ねっとり。強い甘み。
紅はるか長紡錘形。果皮は赤紫色、果肉は薄い黄色。ねっとり。強い甘み。
シルクスイート
紡錘形。果皮は濃い赤紫色、果肉はクリーム色。ねっとり滑らか。強い甘み。

 

さつまいものお菓子いろいろ

昔から秋になると、サツマイモや栗を使った期間限定のお菓子が出回りますね。

さつまいもの品種改良が進み、さつまいもの種類が増えたことから、近頃は「〇〇芋を使った××」等、サツマイモの種類を目玉にした商品が販売されています。

私がスーパーで見た商品は明治のきのこの山ですが、調べたところ、大手菓子メーカーのブランド菓子の商品ラインナップには、「安納芋」を使っている商品が結構ありました。

安納芋の強い甘みと水分量の多いねっとりした食感は、お菓子との組合わせがいいのかもしれませんね。

さつまいもの普及と吉宗公

さて、食料自給率が低い日本で、ほぼ国内でまかなえるのが米、さつまいも、みかんです。調べたところ令和4年のさつまいもの自給率は96%。

今日のさつまいもの普及は、江戸時代、紀伊(現在の和歌山)出身の八代将軍徳川吉宗公の働きがあったからです。

さつまいもは、1605年に中国から琉球(現在の沖縄)に伝わり、薩摩藩(現在の鹿児島)を経て九州、18世紀に全国へ広がったとされています。正式名は「甘藷(かんしょ)」。

1732年(享保17年)の「享保の大飢饉」をきっかけに、吉宗さんは、さつまいもの研究者で蘭学者の青木昆陽(かんしょ先生)が推奨する甘藷の栽培に取り組みました。

薩摩藩など、さつまいもを栽培していた地域ではほとんど餓死者がでなかったことから、吉宗さんは、痩せた土地でも栽培できるさつまいもに着目したそうです。

1735年には小石川御薬園および養生所構内、下総国馬加村(現千葉市花見川区幕張)、上総国不動堂村(現千葉県九十九里町)で、サツマイモの試験栽培に成功。

千葉、埼玉、茨城県を中心とする関東一円に普及。飢饉の際に役立つ救荒作物としてサツマイモの栽培は全国に広がったそうです。

江戸中期には、サツマイモの様々な料理方法が載った料理本『甘藷百珍』が登場。料理本の中には123品ものサツマイモ料理が紹介される等、庶民にサツマイモが拡がっていることがわかります。

江戸の焼き芋

焼き芋はかまどに「焙烙(ほうろく)」という素焼きの土鍋を置いて作られたり、後に鋳物の平鍋で作られたそうです。

焼き芋は木戸番の副業だったそうです。当時の江戸は、町の入口と出口に木戸が設けられ、木戸番が朝晩の木戸の開閉、火の番をしていたことから、副業として焼き芋を売っていたそうです。

木戸番は御用聞きの手伝いもしたそうです。木戸番小屋はテレビの時代劇でよく見ますが、焼き芋を売っている所は見たことがなかったです。

また、自身番屋は町民が町の警備をするために、江戸の各町に設けられた番所のこと。奉行所の監督下に置かれているそうです。

木戸・木戸番小屋・自身番が載っている絵がありました。

喜田川季荘 編『守貞謾稿』巻3,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2592392 (参照 2024-10-30)

江戸の甘味料

ところで、江戸の初期は砂糖が貴重だったそうです。餡も甘い餡ではなく塩餡だったとか。甘いものをどうしていたのかと思い調べたところ、黒砂糖が手に入るようになるまで、庶民の甘味料は水あめだったそうです。

テレビの時代劇を見ていると、よく飴売りが出てきますね。

水あめは、穀物や芋類に含まれるでん粉を、大麦麦芽(麦もやし)に含まれる酵素で糖化してつくる甘味料の麦芽糖。先程ご紹介した焼き芋の甘みです。ちなみに砂糖の主成分はショ糖。

粟おこしや落雁等のお菓子にも水飴が使われているようです。

江戸時代後期になって黒砂糖が使われるようになり、甘いお汁粉や饅頭が食べられるようになったそうです。

江戸時代、お米に代わる救荒作物として広まったさつまいもですが、主食、副菜、甘い物のひとつとして、庶民に愛されたことでしょう。

さつまいもご飯、芋がゆ

令和の米騒動は新米が出回り一旦は落ち着きましたが、価格が下がらないようですね。
こんな時は、さつまいもご飯はいかがでしょうか。

炊き込みご飯は私たちにとってリッチな感覚ですが、もとは少ないお米でもご飯が食べられるようにと、いろんな具を混ぜてかさ増ししたのがはじまりと言われています。

我が家は普段は茶粥ですが、たまにお米とさつまいもで白かいさん(芋がゆ)を炊きます。

さつまいもは皮をところどころ残して剥き、大きくごろっとした大きさに切ります。米から炊き、少し経ってから芋を入れます。味付けは塩だけですが、さつまいもの甘みが味わえます。

さつまいもの普及に務めた吉宗公がモデルの時代劇、『暴れん坊将軍』でも見ながら、秋の味覚、さつまいもを使った炊き込みご飯や芋がゆを頂くことにしましょう。

 

(参考資料)
・日本いも類研究会
https://www.jrt.gr.jp/q_a/spqa_yakiimo/
・サツマイモの近代現代史 財団法人イモ類振興会
https://imoshin.or.jp/wp-content/uploads/sp-modern-history-all.pdf
・農畜産業振興機構
https://www.alic.go.jp/joho-s/joho07_000274.html
・江戸食文化紀行 水あめ
https://www.kabuki-za.co.jp/syoku/2/no158.html
・日本いも類研究会 
なると金時 ベニアズマ
https://www.jrt.gr.jp/
・カネコ種苗 
シルクスイート 
https://kanekoseeds-p.jp/products/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%88-2/
・農研機構 べにはるか
https://www.naro.go.jp/collab/breed/0100/0102/001374.html
・農林水産省 令和5年度食料自給率について 
https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/012.html
・江戸期における番屋の仕組み
https://ameblo.jp/yoshida1049/entry-11487110573.html
(画像)
・喜田川季荘 編『守貞謾稿』巻3,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2592392 (参照 2024-10-30)

東京湾に入る船の目印 鋸山(のこぎりやま)

皆さま、こんにちは。ようやく秋らしくなってきました。この夏は日本全国、まるで灼熱地獄のような暑さ、地震、南海トラフ地震臨時情報、台風、米騒動などいろいろありました。

我が家はストックのお米がありましたが、都会では何週間もスーパーにお米がない状況が続き、お米を求めてスーパーを何軒も回った人も多かったようです。

1年で最もお米の在庫が少ない時期に、地震があり、南海トラフ地震臨時情報が出され、台風があったことで、備えのために多くの方がお米を買ったことも影響したと思います。

新米が出回り、都会のスーパーにはいつ行ってもお米が並び、ようやく令和の米騒動も落ち着きを取り戻したようです。

まだ高値は続いており、5キロ3,500円~5,000円。例年より千円~三千円くらい高いようです。

さて、灼熱地獄と言えば先月スタッフが、千葉県の内房(房総半島の東京湾側)にある鋸山ロープウェイに乗って、有名な「地獄のぞき」に行ってきました。

スタッフから聞いた話と、私なりに調べたことを書いてみたいと思います。

鋸山と浦賀水道

東京湾は、貨物船やタンカーなど1日500隻もの船舶が通る、世界有数の「海上交通過密海域」として知られています。鋸山は昔から東京湾に入る船の目印となった所として有名です。

標高は約329mと高くないですが、鋸の歯のようにギザギザと切り立った崖が目印になり、名前の由来にもなったそうです。

その東京湾の入り口が浦賀水道。三浦半島(神奈川県)と房総半島(千葉県)の間の狭い海域です。

調べたところ、最少幅は約6.5㎞。6.5kmのうち、大型船舶が通航できる航路幅は1.4km。潮流も速いことから航海の難所と言われています。

船の難所 浦賀水道航路を横切る強者 東京湾フェリー

1日500隻の船が通る難所、浦賀水道航路を横切って運航しているのが、東京湾フェリー。三浦半島の久里浜と鋸山のふもと金谷の間を約40分で航行しています。

フェリーに乗ると、航行しているタンカー・コンテナ船等を間近に見ることができるそうです。東京湾に入る全ての船が通る浦賀水道では、時には大型客船や軍艦(空母や潜水艦)も見ることもできるそうです。

スタッフが展望台から撮った写真にフェリーが入っていました。以前神奈川から車で千葉に行く時に、東京湾フェリーのルートを検討したことがあります。結局その時はアクアラインを通りましたが、こんな写真を見ると乗ってみたいですね。

写真を見ても船が次から次へと東京湾に向かっています。信号機もない難所の海で、どうやってうまく横切っているのかと思います。

ところで、浦賀水道の浦賀と言えばペリーの黒船来航。嘉永6年(1853年)、ペリーが4隻の艦船でやってきて、江戸湾入り口の浦賀沖に停泊して、幕府に開国を迫りました。

なぜ浦賀沖に停泊したのかと思って調べたところ、浦賀までしか海図がなかったからだそうです。

ペリー側は停泊中に測量艇をだして、江戸湾内を細かく測量したとされています。

日本近代化の土台を作った房州石

さて、鋸山のギザギザの崖は自然にできたものだと思っていましたが、これは石材(房州石)の採石跡とのことです。

調べたところ、房州石は江戸時代後期(安政年間)に採掘が始まり、堅くて加工しやすく、耐火性に優れていることから、建築用石材やかまどや七輪などにも利用されたそうです。

石切りは男性が行い、車力(しゃりき)と呼ばれる女性が石を麓まで運んだそうです。石材は木製の台車で切り出した石を運ぶ方法(車力道)と、斜面を滑らせるように石材を運ぶ方法(桶道)があったとのことです。

そして明治時代には、東京や横浜での需要が増え、横浜港開発の際には、護岸用石材として、東京湾岸の土木建築工事に使用され、日本の近代化を土台から支えました。

現在は採掘されていませんが、皇居、靖国神社塀下、早稲田大学の石塀、横須賀軍港、港の見える丘公園の石垣など、著名な場所に使用されています。

刷毛でさっと掃いたような細かい筋模様が特徴とのことです。

鋸山ロープウェー

さて、いよいよ鋸山ロープウェーに登ります。鋸山ロープウェーは、山麓駅から海抜329mの鋸山山頂駅を結ぶ、全長680mのロープウェーです。

台風一過の青空で35度以上の酷暑。外に立っているだけで全身が焦げるような日射しに、風はあっても熱風で息苦しい程の暑さ。まさに灼熱地獄だったそうです。

山麓駅の自動販売機で切符を購入。往復1,200円(大人)。昔懐かしい厚みのある切符を見てスタッフは感激したそうです。

昔は切符と言えばこんな厚紙でした。今でも使っているところがあったとは。私も感激です。

調べたところ、厚みのある切符は「硬券」と言うそうです。鉄道会社の乗車券のスタンダードとして明治の鉄道創業期より使用され、材質はボール紙、厚みは0.7ミリ程だそうです。薄い切符は「軟券」。

改札で駅員さんに切符を切って貰って入場。駅で駅員さんに切符を切って貰うのは何十年ぶりで、スタッフはまた感激したそうです。

駅の改札で切符を切って貰ったことのない方もいらっしゃるでしょう。

以前は駅の改札を通る時に、駅員さんに切符を切って貰っていました。新幹線の中でも車掌さんが回って、切符を切って貰っていたのです。

調べたところ、千葉県では小湊鉄道さんも硬券を扱っています。養老渓谷駅など一部の有人駅で硬券を買うことができるようです。有人駅の牛久駅、里見駅で、頼むと鋏を入れてもらうことができるようです。

鉄道ファンに限らず、スタッフや私のように、硬券に懐かしさを感じる方もいらっしゃると思います。

ロープウェーで山頂へ

さて、スタッフはゴンドラに乗車。小さなゴンドラは満員。
4分の空中散歩で山頂駅に到着。階段を上って改札を出て、また階段を2階分上がると展望台です。

展望台からは東京湾が一望。正面に浦賀水道、頂上は雲に隠れて稜線だけ見えた富士山、房総の山並み、浦賀水道の向こうに横浜ランドマークタワーや東京都心が見えて、感動したそうです。

本当に素晴らしい眺めですね。私も行ってみたいです。

地獄のぞき 日本寺へ

地獄のぞきへは、山頂駅から徒歩20分程度と聞いていたそうですが、足元はデコボコした岩の坂段。一段一段注意して降りたそうですが、段差もランダムで、歩くというよりは山登り。

10分程で日本寺の入り口に到着。スタッフは疲れてぐったり。拝観料(750円)を払って日本寺の門をくぐりました。

日本寺(乾坤山日本寺 けんこんざんにほんじ)は、関東最古の勅願所。勅願所とは、天皇の命令で国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して建てられた寺で、奈良の東大寺・薬師寺も勅願所だそうです。

10万坪余りの広大な境内には、日本最大の磨崖仏(まがいぶつ:岩壁に彫刻された仏像)の薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)、房州石を切り出したあとの崖に6年の歳月をかけて彫られた百尺観音像、江戸時代後期に27人が21年という歳月をかけて彫った東海千五百羅漢像など、数多くの見どころがあります。

中でも有名な見どころが「地獄のぞき」です。

日本寺の門をくぐると今度は石段の上り坂。段差はそれほどでもないですが、階段の奥行きが長い登り坂が続いたそうです。

山の中、陽射しはなかったものの、暑さと疲労の登り坂でスタッフはバテて、何度も休みながら歩き、ようやく地獄のぞきの入り口にたどり着きました。

地獄のぞきは、空中に岩場がせり出したような小さな展望台。スタッフは両手で柵をつかんで最も足場の悪い岩を登り、地獄をのぞいてきました。

足のすくむような所ですが、スタッフは不思議と怖くなかったそうです。

スタッフは全身汗びっしょりになり、木陰で涼みました。そしてまた長い石段を下り、日本寺を出ました。

スポーツドリンクで水分補給。ロープウェイ山頂駅に向かって、また岩の坂道を登りました。かなりキツかったそうです。ロープウェー山頂駅に戻ってきた時は、スタッフは暑さと疲労でぐったり。

ロープウェイに乗って山を降り、山麓駅にたどり着くと、スタッフは熱中症のような症状に。すぐにコンビニで塩タブレットとスポーツドリンクを買って塩分補給したそうです。

台風一過の青空で灼熱地獄のような暑さの中、スタッフは今回地獄のぞき以外の場所を見て回れませんでしたが、また過ごしやすい季節に行ってみたい、とのことでした。

ところで前日は台風でした

前日の千葉県は台風通過中。傘をさせない程の暴風雨だったそうです。車のドアを少し開けただけで、車内には横なぐりの雨が。

そこで、スタッフは車内でドノソラを着て外に出ました。

フード部分は手で押さえ、キャリーカートと他荷物を抱えて急ぎ移動しました。建物の入り口でドノソラを脱いで雨を振り払い、ほっと一息ついたそうです。

いわゆる短時間集中豪雨のようなゲリラ豪雨+強風の台風でしたが、ドノソラがあってよかった~と、しみじみ話してくれました。

怖いと感じる程の雨風の時には外へ出ないことですが、やむを得ない時は十分注意して下さいね。

昨年、千葉県の大山千枚田で撮ったドノソラの動画ですが、ご参考まで。弊社の全天候型レインウェアドノソラレインパーカがお役にたてると幸いです。

(参考資料)
・まっぷるトラベルガイド https://www.mapple.net/articles/bk/3642/
・鋸山復興プロジェクト https://nokogiriyama.jp/viewpoint/boshu-rock/
・Exciteニュース おもしろ コネタ 自動改札が主流の今でも、駅員さんに切符を切ってもらえる場所は?
https://www.excite.co.jp/news/article/E1473657430323/
・関東交通印刷株式会社 硬券とは?https://ticket-print.co.jp/about/
・千葉観光ナビ https://maruchiba.jp/spot/detail_10364.html
・平塚市博物館 https://www.hirahaku.jp/web_yomimono/geomado/sekiz19.html
・日本食文化の醬油を知る 黒船来航と開国
http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-18.html
・富津市役所 登山道(2) 車力道(しゃりきみち)
https://www.city.futtsu.lg.jp/m/page/0000000317.html
・江戸湾測量 横須賀市
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2120/culture_info/french/documents/perry_yks.pdf
・鋸山 日本寺 https://www.nihonji.jp/
・鋸山ロープウェー https://www.mt-nokogiri.co.jp/pc/p010000.php

災害用SP 肩ベルト調整方法について(動画作成しました)

お客様各位

平素より弊社製品をご利用頂き、誠にありがとうございます。
この度、弊社の災害用SPを具合よく使用頂けるよう、肩ベルトの調整方法についてお知らせいたします。

災害用SPの肩ベルトは、一度バックルに取付けると固定される仕様です。
ズボンがずり下がったような感じになり、ウェアが体にフィットしない場合は、ちょうどよい股上丈になるよう、肩ベルトの長さを調整して下さい。

災害用SP 肩ベルト調整方法

1.肩ベルトをバックルの隙間から取外します。

2.ちょうどよい股上丈になるよう、肩ベルトの長さを調整し、再度バックルに取付けます。

3.もう一方の肩ベルトも、左右同じ長さになるよう調整し、再度バックルに取付けます。

ウェアを着用して、体にフィットしているか(ちょうどよい股上丈になっているか)、確認して下さい。ウェアを着用したままでの調整も可能です。

今日も東奔西走 紀美野町東西30キロ

皆さま、こんにちは。厳しい残暑が続いていますね。最近の暑さは酷暑と言った方がいいかもしれません。都会に比べると涼しいと思っていた紀美野町も、日中は都会と変わらない気温になっています。

和歌山では、8月に入ってから24日までに、35度以上の猛暑日が16日。暑さ指数が危険(31以上)の日が19日もありました。

炎天下にいると手足が焦げるようで、風はあっても熱風で息苦しく、危険を感じるような暑さです。

当然食慾も落ちますが、食慾がないからと言って塩飴や塩タブレット、スポーツドリンクや麦茶を飲むだけ、ではバテてしまいます。

こんな時にぴったりだと思うのが魚の干物。最近は健康への配慮から、塩分の多い干物を避ける傾向もあるようですが、こんな時こそ干物はいかがでしょうか。

私はサバの干物が好きですが、干物のお茶漬けは、エネルギーと水分と塩分が摂れ、喉ごしがいいです。

ご飯の上に焼いた干物のほぐし身をのせ、ネギ・青じそ・生姜・ミョウガ・梅干し・大根おろし・海苔・ごま・あられ・わさび等、お好みの薬味をのせます。塩気が足りない時は塩を少し足します。臭み消しや風味付けにお醤油を少し垂らしてもいいと思います。

我が家はほうじ茶ですが、緑茶・麦茶・ウーロン茶など、お好みのお茶でも白湯でもいいと思います。最近は冷やし茶漬け等も人気のようですが、私はやっぱり熱いお茶をたっぷりかけてさらさらと頂くのが好きです。

紀美野町消防本部さんを訪問しました!

前置きが長くなりました。先日、下佐々地域の貴志川沿いにある紀美野町消防本部さんを訪問しました。

猛暑による救急活動の現状や、救急救命士さんのお仕事、そして台風や大雨等による災害救助活動とその訓練等について、IさんとMさんにお話を伺いました。

熱中症と草刈り

6月~8月の3ヶ月、紀美野町内の熱中症による救急搬送数は11人(昨年12人)でした。取材当日も、10時までに熱中症関連の出動が2回あったそうで、1日5、6回の出動になることもあるそうです。

室内と屋外と比べると、紀美野町では屋外で熱中症になる方が圧倒的に多いことがわかりました。草刈り作業中の方が多いそうです。あと少しで終る、やってしまおう、と頑張って熱中症になるパターンが多いように思うとおっしゃっていました。

確かに夏は放っておくとあっという間に草ぼうぼうになりますね。今日は頑張ってここまでやっておこう、という気持ちはわかりますが、定期的に水分補給することが大事だとおっしゃっていました。

 

仕事場は紀美野町東西30キロ

救急活動は、指令センターから指令を受けた救急救命士さんたちが、緊急を要する人のもとへ駆けつけて応急処置(点滴、アドレナリン注射、気管挿管等)を行ない、救急車等で急病人やけが人を病院に搬送する仕事です。

救急救命士さんは、6ヶ月間の研修を経て国家試験に合格した方、指導救命士さんは、救急救命士・救急隊長として通算5年以上の実務経験のある方です。現在紀美野町消防本部では3名の指導救命士さん、他救急救命士さんが任務にあたっています。

紀美野町は、東は高野のふもと長谷宮(はせみや)から西は小畑(しょうばた)まで、東西30kmあります。大事なことは、いち早く現場にかけつけること。要請のあった方の状態を見て、どの病院を選択して搬送するかが重要だとおっしゃっていました。

点滴1本15分で終るそうですが、遠くへ出動の場合は6本積んで行く等、出先の状況に応じた対応が必要だとおっしゃっていました。

救命講習で応急手当学べます

紀美野町消防本部さんでは、救命講習を実施しています。救命講習とは、心肺蘇生やAEDの使い方、けがの手当など、応急手当を学べる講習で、救命入門コース(90分)、普通救命講習1(180分)他、レベルに応じた講習があります。

学校や企業や個人からの依頼で出張して講習も行なっており、その中で熱中症対策についても話をしているそうです。我が社も受講したいと思いました。

出典:紀美野町ホームページ/消防本部/各種講習案内(https://www.town.kimino.wakayama.jp/sagasu/shobohonbu/325.html)

地獄の訓練?!暑熱順化

また、紀美野町消防本部さんでは、消防隊員さん自身が過酷な環境で熱中症にならないよう、体を暑さに慣れさせる「暑熱順化」訓練を実施しています。

まず、消防服・合羽・防火服の順に重ね着します。総重量は15キロ位になるそうです。15キロの装備で20分、二人組で70~80kgの荷物を運ぶ訓練だそうです。

隊員の方にとってもかなりキツい訓練だとおっしゃっていました。話を伺っただけで苦しくなるような、過酷な訓練を日頃からなさっていることを知りました。本当にお疲れ様です。

画像提供:紀美野町消防本部さん

災害救助活動について

次に、災害救助活動について伺いました。紀美野町には高野山西麓を水源とする紀の川水系最大の支流「貴志川」と、貴志川の支流「真国川」の2つの川が流れ、これからの台風シーズンは注意が必要です。

貴志川上流

紀美野町消防本部さんでは、大雨が降った時は、河川のパトロールに出たり、防災無線で呼びかけを行なっています。

昨年6月、大雨により貴志川が氾濫し、1箇所だけでなく多発的に水害が発生しました。紀美野町消防本部さん・地元消防団の皆さん・役場の職員さんが皆で力を合わせて、災害救助・捜索・復旧活動を行なったそうです。

増水で住宅の周囲が完全に水没した状況で、住宅に孤立した住民を消防本部さんが救助。孤立した住宅へは、救命ボートを使用し、陸地からロープを展張して、そのロープを手掛かりに救助活動を行なったとのことです。

また、最近では大雨による増水で、貴志川の中州に取り残された方の救助活動を行なったとおっしゃっていました。

貴志川が氾濫した経験を踏まえ、町内に土嚢ステーションが作られたそうです。土壌ステーションは、紀美野町役場、紀美野町役場美里支所、各消防団詰所にあります。

近隣の消防署さんとの連携

ところで、川は地域をまたいでいますが、災害発生時、近隣の消防署さんとの連携について伺いました。

現在、和歌山市、海南市、那賀、紀美野町、和歌山広域消防の4消防本部が一緒になった和歌山広域消防指令センターがあり、119番通報の受付、消防車や救急車の出動指令及び無線の統制などの消防指令業務を共同で行っているとのことです。

共同で行うことで、業務の効率化や各消防本部との連携、情報共有が可能となり、市町境で発生した災害などでも素早い対応ができるようになったそうです。紀美野町消防本部さんからも2名の隊員が指令センターで勤務にあたっているそうです。

日々の訓練

地獄の訓練?!暑熱順化訓練の他、紀美野町消防本部さんでは日々様々な訓練を行なっています。その様子を写真でご紹介します。

画像提供:紀美野町消防本部さん 山中で伐採作業中、熱中症により動けなくなった人を救出する想定訓練 

 

画像提供:紀美野町消防本部さん 山林火災の想定訓練 消防車が進入できない池までの搬送訓練

この他、和歌山市、海南市、那賀、紀美野町、和歌山広域消防の4消防本部で年一回、様々な合同訓練を行なっているとのことです。

また町内では、地元消防団(15団)と、年一回放水の合同訓練を行なっているそうです。

災害用SPが現場で使用されました

さて、昨年6月の大雨による貴志川増水時、紀美野町消防本部さんが弊社の災害用SPを使用して救助活動を行ったと伺いました。災害用SPは弊社が開発した風水害の救助・復旧活動用ウェアです。

災害用SPを着用しての訓練の様子

編み上げ靴等の作業靴を履いて活動しながらも、足が濡れず・汚れず、不快なく活動できるウェア一体型防水ソックス・胸付ズボン仕様のウェアです。

救助活動を行なった隊員の皆さんに、現場で実際に使用した感想を伺いました。

お客様の声(紀美野町消防本部の皆さん)
災害現場で「災害用SP」を使用した感想

・住宅に孤立した住人の救助活動時に使用。ソックスへの浸水はなく快適。

・視認性がよかった。消防の再帰反射ネームを入れて夜間作業によかった。

・足が濡れなくてよかった。

・ウエアに全然水が染みこまず、防水性が良かった。

・ある程度厚みがあり、破れもしないで安心して作業できた。

・胸当てがあり、ある程度水位があっても作業できた。

・従来の合羽よりもベタベタしないで気持ちがよかった。

・ゴアテックスの合羽を着ているが、比べても遜色ないと思った。

・洗濯しても汚れもすぐに落ちた。

・股が下がって大きく足を開く時に違和感があった。

実際の災害現場で災害用SPがお役にたてて何よりです。貴重なご意見、心より感謝いたします。

肩ベルトの調整方法

なお、一番下のご意見から、弊社の説明が不十分だったことがわかりました。ご迷惑をおかけいたしました。ズボンがずり下がったような感じになってウェアが体にフィットしない、ということだと思います。

災害用SPの肩ベルトは、一度バックルに取付けると固定される仕様です。
ズボンがずり下がったような感じになり、ウェアが体にフィットしない場合は、ちょうどよい股上丈になるよう、肩ベルトの長さを調整して下さい。

1.肩ベルトをバックルの隙間から取外します。

2.ちょうどよい股上丈になるよう、肩ベルトの長さを調整し、再度バックルに取付けます。

3.もう一方の肩ベルトも、左右同じ長さになるよう調整し、再度バックルに取付けます。

ウェアを着用して、体にフィットしているか(ちょうどよい股上丈になっているか)、確認して下さい。ウェアを着用したままでの調整も可能です。

今回お話を伺って

紀美野町消防本部の隊員さんは交代制の24時間勤務。朝の8:30に勤務が終わります。24時間勤務明けの休日、どのように過ごしているのが伺って驚きました。

紀美野町は東西30キロ、総面積の75%が森林。救急車が通れる道幅があるか、車を停める場所はあるか等、いざという時に備え、日頃から町内のいろんな場所を見て回っているそうです。

お疲れにも関わらず、自己研鑽に励んでいらっしゃる姿には頭が下がります。

日々の厳しい訓練と努力によって救急活動・救助等消防活動が行なわれ、私たち町民の暮らしが守られていることがよくわかりました。

また、今回災害用SPを使用した貴重なご意見から、ウェアを具合よく使って頂くためには弊社の説明が不十分だったことがわかりました。

今後、災害用SPを使用して河川等で訓練実施の際は、第一線の現場で活動する皆さんのお役にたてるような、よりよい商品づくりのためにも、ぜひ見学させて頂けますと幸いです。

それからこの機会に、我が社も出張救命講習をお願いしました。社員全員で参加したいと思います。

紀美野町消防本部のIさん、Mさん、皆さん。このたびはお忙しい中、お時間を頂きありがとうございました!

体に気をつけて頑張って下さいね。応援しています。

 

参考
・熱中症予防情報サイト(環境省)
https://www.wbgt.env.go.jp/record_data.php?region=07&prefecture=65&point=65042
・過去の気象データ(気象庁)https://www.data.jma.go.jp/stats/etrn/index.php
・和歌山県海草郡紀美野町役場 https://www.town.kimino.wakayama.jp/
・和歌山市公式ホームページ https://www.city.wakayama.wakayama.jp/index.html